スローフード秦野からのたより
投稿日 2012年02月02日
私たちが活動する神奈川県秦野市周辺は、明治時代に日本で初めて落花生が栽培された地域です。いまでは落花生の主な生産地は千葉県に移りましたが、かつて秦野では落花生を大豆の代わりに使った味噌が造られていました。私たちはその落花生味噌を復活させる活動を行っています。
1月29日、メンバーなど20人近くが集まり、昨年2月に仕込んだ落花生味噌の完成・試食会を開きました。一年間寝かせて熟成させた落花生味噌は、昔風なので少し塩辛いものの大豆の味噌にはない濃厚な味がします。この落花生味噌を使いディップやドレッシングなどのほか、市内菩提の「ラーメン福福」さんに味噌ラーメンを作っていただきました。
その食卓を囲んで、秦野の特産物や今年の味噌造りなどの話をするうちに、この落花生味噌で何か東日本大震災の被災地へのお手伝いができなか、という提案が出ました。そこで、私たちスローフード秦野は「ラーメン福福」さんとのコラボレーションでその落花生味噌ラーメンを販売していただき、売り上げの一部を被災地のコンビビウムの支援に使わせていただく事になりました。落花生味噌ラーメンは2月中旬から、「ラーメン福福」さんhttp://rp.gnavi.co.jp/5914554/で味わえます。(¥600円・落花生味噌がなくなったら終了します)
秦野の特産物・落花生をこれからもよろしくお願いします。
<落花生味噌のディップ>
○材料
落花生味噌、マヨネーズ、ピーナツバター(甘くない物)
○作り方
上記3つの食材を合わせ、泡立て器でかき混ぜながら酒(或いはブランデー)を少量加え、味を調える(砕いた落花生を加えても良い)
東日本大震災 支援⑨ 気仙沼・冬
投稿日 2012年01月27日
<あの日>から10ヶ月経た気仙沼を、再び訪れました。そこで見たのは、5月に訪れたときと同じく、私たちの想像を超えた自然の力の凄ましさです。瓦礫の撤去が進む被災地域は広大な荒野となり、たとえそこに再び街が出現しても、以前の営みが刻まれるのは記憶のなかだけかもしれません。しかし、その荒野には自分たちの暮らしを取り戻すだけではなく、新たに作り出そうとする方たちの熱き想いがありました。
東日本大震災の津波が気仙沼市にもたらした瓦礫は、約137万トン(新幹線「のぞみ」約19,000本[編成]に相当)。その約32パーセントが、撤去されました(気仙沼市1月14日発表)。瓦礫に埋もれていた場所の多くは、いま更地に近い状態になっています(→写真右)。しかし、市内には仮設のプレハブ家屋以外新築建築は見当たらず、再建は進んでいません。被災した土地の乱開発を防ぐために実施された建築制限が解除された地域でも、都市計画が決定していないので新たな建物を建築しづらいのです。気仙沼湾に面する市街地の一部は、70センチ以上の地盤沈下で海水が引きません。湾のいちばん奥・鹿折地区では、津波で海から約800メートルも打ち上げられた『第18共感丸』(330t)が、市の計画で震災の記録モニュメントにするため解体されず残されています(↓写真下大)。
スローフード気仙沼のメンバー小野寺靖忠さんは、津波で自宅と市内で経営するコーヒーショップを2軒を失いました(←写真左)。カフェラテが美味しいと評判だった小野寺さんの『アンカーコーヒー』は、コーヒー豆にこだわり自家焙煎をしていました。仕事でアメリカ西海岸を訪れる機会が多かった小野寺さんは、「豊かさには、選択肢の多さも重要です。生まれ育った気仙沼に新たなライフスタイルを提案したかった」と、2005年シアトルスタイルのコーヒーショップを開店しました。そして、昨年の3月11日、店舗が増え5軒になった頃、漁港近くの本店と少し離れた支店を津波に飲み込まれました。しかし、小野寺さんは2ヶ月後店を立て直すファンドを立ち上げます。そして、昨年暮れの12月23日、市内・田中前4丁目の仮設店舗で店を再開したのです(↓写真下)。 再開した『アンカーコーヒー』には、 <この地より再び船出する、乗組員と共に、気仙沼と共に、海と共に> と記すポスターが張り出されていました。
スローフード気仙沼の理事長・菅原さん。「私たちは東日本大震災で被害を受けたから、気仙沼の復興を語っているのではありません。私たちはこの地域の復興を、スローフードジャパンが発足する前から掲げていました。スローフードの支部を作ったのは、その考え方にたまたまスローフードの理念が合っていたからです。だから、漁業と関わりの深い気仙沼を活性化させるために、2004年にイタリアで開かれた<スローフィッシュ>にも参加しました。震災後のいま訴えることも、いちばん重要なのはスローフードが理念とする『人間の復興』です。いま、何か新しいことを訴えているのではないのです。私たちが望むことに意味付けし、広めるのがスローフードの役割だと思います」(→写真右上は、菅原さんの事務所。1,2階が津波に流され、3階部分だけそのまま落ちた)
スローフード気仙沼はスローフードすぎなみTOKYOとは異なり、飲食業に携わる事業者の方たちが多い支部(コンビビウム)です。スローフードの<おいしい、きれい、ただしい>というスローガンは、生産者や消費者だけに向けられているのではありません。飲食業に関わるすべての人たちに、「食」の在り方を問いかけています。漁業と海産物加工の町気仙沼では、復興の入り口と出口にスローフードがある、と菅原さんは言います。

2012年1月のある夜、仮設店舗の居酒屋で、スローフード気仙沼のメンバーと酒を飲み交わしました。皆さんは気仙沼の現実と復興を明るく、たくましく、熱く語ります。そして、その熱き想いが、私たちが被災地に持つ思い込みや誤解、独善を吹き飛ばすのです。私たちは気仙沼のメンバーに、元気をたくさんいただきました。
昨年の3月14日、大震災の発生にともない、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックはスローフード気仙沼を支援する緊急アッピールを発表しました。 → http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/ そのアッピールに応えてくださった全国のコンビビウムやこのページの閲覧者の方々、とくに、チャリティイベントを開き支援金を送ってくださったスローフードベルリンの仲間に伝えます…。→ http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/
スローフード気仙沼は、元気です!!
東日本大震災 支援⑧
宮城県・長面(ながつら)浦の焼きハゼ
投稿日 2012年01月20日
東日本大震災は、私たちの味覚にも痕跡を残します。
仙台の雑煮に欠かせない焼きハゼで、もっとも伝統的な長面(ながつら)浦の焼きハゼが消えてしまうかもしれません。
それぞれの地域で、数少ない生産者によって受け継がれてきた食材・食品を残す活動は、スローフードが提唱する重要なテーマのひとつです。
<長面浦の焼きハゼ>は、2005年ほかの8品目とともに日本で初めてスローフードの「味の箱船(ARK)」に選ばれました。「味の箱船」とは、このままでは消えてしまう伝統的な食品・食材を、世界的なガイドラインに沿ってリストアップするスローフードの国際的なプロジェクトです。焼きハゼは松島湾などでも作られていますが、<長面浦の焼きハゼ>には焼いた後に煙で燻す古い製法が残されていました。また、その製法を代々受け継いできた事が評価され、「味の箱船」にリストアップされたのです。
(←長面地区の子供たちが通った大川小学校で。ここで、74人の児童が犠牲になった)
長面浦は北上川の河口に接する海水が出入りする湖で、周囲8キロほど。牡蠣の養殖やハゼ漁が行われていました。その湖に面した長面地区は津波のために漁港も含めたすべてが失われ、満潮のときは地震による地盤沈下で、住宅地のほとんどが海水に浸されます。震災前、約500人が住んでいた長面では、69人が亡くなり25人がいまも行方不明です。焼きハゼを作っていた榊照子さん(68)のお父さんの遺体が見つかったのは、9月17日でした。
追波(おっぱ)川河川運動公園の仮設住宅で、照子さんは語ります。「被災後は、長面浦には行きたくありませんでした。でも、6月に避難所からここへ移り、7月に船が瓦礫の中から見つかったので、せめて漁網だけでも注文しようと思いました。父の遺体が見つかったのは、9月です。スローフード宮城の方は、震災直後から何回も訪ねてきて、焼きハゼ作りの再開に協力を申し出てくださいました。長面浦では、ほかの魚はほとんど獲れなくなったのに、ハゼだけは獲れるんです。それで、もういちど作ってみようと決めたのは11月頃です」 照子さんは、12月に50連約600匹の焼きハゼを作りました。 (↑写真上 左・榊照子さんの家があった周辺。 写真上 右・潮が満ちてくると海面になる、と言う。→写真右 上・運動公園の仮設住宅。写真右 下・左側が照子さん。右側はお母さん)
しかし、スローフード宮城とスローフード仙台のメンバーが壊れた車庫を利用して作った、ハゼを焼くための仮作業場はもうすぐ取り壊されます(↓写真下)。次の作業場は、場所さえまだ決まっていません。また、岸壁も全壊したため、ハゼ漁に使う船はかろうじて残った堤防の片隅に係留されています(←写真左)。<長面浦の焼きハゼ>作りは、この冬なんとか再開できたものの、来シーズンの見通しは立っていないのが実情です。スローフード宮城とスローフード仙台では、<長面浦の焼きハゼ>復活募金を、下記のように行っています。
①募金額 / 一口¥3,000円(少額でも、何口でも結構です)
②振込先 / 杜の都信用金庫 本店営業部
口座名義: スローフード宮城
口座番号: 普通預金 1581336
<長面浦の焼きハゼ>がリストアップされている「味の箱船」は、スローフードが考える生物多様性につながっています。スローフードが考える生物多様性は、科学的な意味での多様性だけではなく文化としての多様性です。そして、味覚は文化の多様性を語る要素のひとつです。 <おいしい・きれい・ただしい>を掲げるスローフードの原点は、そこにあります。 <長面浦の焼きハゼ>が姿を消すとき、それは何を意味するのでしょうか……。
東日本大震災 支援⑦2011年大晦日
私たちは、忘れません!!
投稿日 2011年12月31日
(ページの更新が、本年8月以降止まっていたことをお詫びします)
今年、2011年は日本の歴史に深く刻まれた年でした。
歴史だけではなく、東日本大震災の被災者の方々をはじめ、多くの人々の心に深く刻まれた年でした。
私たちはそのなかから歩み始めます。
東日本大震災は、三つの顔を持っていました。ひとつは、巨大な地震・津波が生んだ自然災害の顔。二つめは、原子力発電所を設置した国の政策が生んだ人為的災害の顔。そして、三つめはそれらの災害により、私たちの生き方を問う顔です。二つの災害が私たちに教えたさまざまなことは、これからの日本の在り方を考えさせます。新たな社会を考えるうえで、スローフードが掲げる「食」の“おいしい・きれい・ただしい”という理念は欠かせません。そこには、生きる楽しさ、喜び、確かさが語られているからです。
スローフードの国内組織・スローフードジャパンには、日本内外から約127万円の支援金が寄せられました。これに国際本部からの負担金の免除(約165万円)を加えた300万円あまりの使い方が正式に決められたのは、震災から9ヶ月以上たった今月(12月)でした。支援金は、被災地のコンビビウム(支部)に分配され、また被災会員の会費免除に使われます。しかし、スローフードジャパン独自の被災支援プロジェクトや復興プランは、現在まで打ち出されていません。スローフードの活動は各コンビビウムによって支えられていますが、いまこそ国内組織としての、そして私たちの会費の約半額が納入されるスローフードジャパンが、リーダーシップを発揮するときです。被災地日本のスローフードが、世界のメンバーに向けて震災からの復興を宣言する日は来るのでしょうか?
私たちスローフードすぎなみTOKYOを含むスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックは、東日本大大震災に際し「顔が見える相手を直接支援」するために、いち早くスローフード気仙沼の支援を決めました。そして、5月3日、全国各地のコンビビウム、スローフードベルリンなどから寄せられた約94万円の支援金を現地気仙沼で手渡しました。さらに、スローフードすぎなみTOKYOはおもに原発災害の影響を受ける生産者を支援するために、高円寺あずま通り商店街の協力により「被災地復興マルシェ」を4月と11月に開催し、それらの活動を記録した短編ドキュメンタリー映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』を製作しました。この作品は、6月にモロッコで開催されたスローフードインターナショナル国際理事会で、10月には山形国際ドキュメンタリー映画祭2011(写真左下)でそれぞれ上映され、来年(2012年)は映画を自主上映をする市民団体の被災支援プロジェクトとして全国各地で上映される予定です。
私たちは、被災地の支援とともに、これまでの活動も続けています。4・5・6・10・11・12月の第3土曜日には、高円寺の劇場「座・高円寺」のエントランス広場で「座の市」を開催しました。また、6月11日に行われた「親子で知ろう! ほんとうの味」はパエリアを取り上げ、13回目を迎えました。これは、毎年杉並区立第4小学校で行われている味覚教育で、スローフードすぎなみTOKYOの活動の中心のひとつです。さらに、この味覚教育の拡大版として6月25日、住民の過半数を外国人が占める新宿区大久保で、そこに住む外国人親子に日本語を教えるボランティアの方々と一緒に、日本の「食」を伝えるために<「課外授業・おにぎり弁当作り」>を行いました。私たちのメンバーに生産者の方は一人しかいません。しかし、私たちはともすればスローフードの理念とは正反対の場所だと考えられがちな都会の片隅で、地域に密着したスローフードの運動をしています。これらの活動は、来年も継続して行う予定です。(写真右上:「座の市」 写真右中:杉並第4小学校の「親子で見つけよう! ほんとうの味」 写真右下:「親子日本語教室・課外授業」おにぎり弁当作り)
12月3日、スローフード長崎は「テッラ・マードレ in 雲仙」を長崎県雲仙市で開きました。来場者は、約1,000人。会場にスローフードが全国からリストアップした「味の箱船」(少生産者による伝統的な産物)の食材・食品が展示され、生産者や産地の小学生たちの発表・討論などが行われたました。テッラ・マードレとは、直訳すると「母なる大地」を意味する生産者の会議で、これからのスローフード運動の中心となる催しです。スローフードはいま、農業と真摯に向き合うすべての生産者に寄り添おうとしています。テッラ・マードレ in 雲仙では、日本のスローフード運動の再生へ向けて、生物多様性を踏まえで生産システムの転換を訴えるメッセージが、参加者によって宣言されました。→「にぎわいのある社会の実現を目指して」
来年(2012年)、スローフードは大きな転換期を迎えます。スローフード運動の創始者で、25年にわたって活動を牽引してきたカルロ・ペトリーニ会長が引退するのです。25年前、イタリアの小さな村ブラから始まったスローフード運動は、その創始者の引退によりこれまで築かれてきた人的パイプが変わり、各国の国内組織は今後独自の運動の展開を求められるでしょう。そのとき、私たちは日本のスローフード運動の目標として具体的に何を語れるのか・・・、日本のスローフードはその真価が問われます。
スローフードは、私たちの言葉です。
12月18日、原発災害の被災地福島を訪れると、スローフード福島のメンバーが農地の放射能除染を試みるため、ときおり小雪が舞うなかで、孟宗竹を砕き「竹粉」を作っていました。
私たちは、被災地のコンビビウムの方々と共に歩みます。
スローフード福島からのたより
投稿日 2011年08月05日
スローフード福島は、8月27日(土曜日)、二本松市近郊で、下記のように<福島の現状を語る会>を開きます。
皆さんお誘い合わせのうえ、ご参加ください。
日時:2011年8月27日(土曜日)
会場:フォレストパークあだたらhttp://fpadatara.com/
*車以外の方は、12時10分、JR東北本線(在来線)本宮駅集合。
内容:
14時 講演会
生産者によるパネルディスカッション
意見交換会
18時 懇親会
懇親会:会員4000円(一般4500円)(宿泊される方は+5000円)
申込先:スローフード福島事務局
slowfood@ninki.co.jp
TEL:0243-23-2091
FAX:0243-23-2098
締め切り:8月15日
7/30(土)スローフードのあつまりに佐藤栄佐久前福島県知事と須藤陽子さん参加
投稿日 2011年07月24日
スローフードジャパン理事会に合わせ、全国の理事が集結します。
18時からは懇親会「あつまり」を開催。
スローフードに関心のある方ならどなたでも参加できます。
「あつまり」では、佐藤栄佐久前福島県知事のミニ講演会を準備しています。
佐藤栄佐久さんは県民の安全を優先して原発推進に待ったをかけた知事として有名でしたが、福島を愛し、福島の食についても造詣が深い方です。http://eisaku-sato.jp/blg/
また、スローフード福島リーダーの須藤陽子さんが、福島から参加されます。http://youkosudou.blog.ocn.ne.jp/
(福島市内のすどう農園・須藤陽子さんと連絡取れました~原発被害と生産農家(3/19)http://ameblo.jp/toshi-shun/entry-10834631338.html)
無農薬・無化学肥料で畑づくりをされてきたのに、こんなことで畑を使えなくなってしまった無念さはいかばかりか、と思います。
現地の話を聞きながら、スローフードとして何ができるのかを皆で検討したいと思います。
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■スローフードの「あつまり」
日時:2011年7月30日(土) 18:00~20:30
場所:水道橋グランドホテル(東京都文京区本郷1-33-2 03-3816-2101)
http://www.hatago.co.jp/access.htm
料金:料理はビュッフェ、飲み放題付 おひとり様 5,500円(予定)
定員:先着50名(7/27締め切り)
申し込み:info@slow.or.jp または、山本(070-5407-0141)まで
(以下、福島が地元の石田さんによる、佐藤栄佐久氏についてのコメント)
…………
私はジャコモと一緒に郡山まで会いに行ったことがあります。福島の産品に非常に詳しく、ご自身でもよく研究されていました。
相馬に残っていた浅草海苔のリサーチや、消えかかっていた福島の天津桃を公園に植えさせたり、皇族が愛した福島のまくわうりを農家を巡って探したり、福島の地域種ではなくとも、かつて親しまれていた福島の味を探求されていました。(石田雅芳)
東日本大震災 支援⑥
スローフード気仙沼への支援金
投稿日 2011年05月05日
5月3日、スローフードジャパン副会長の佐々木俊弥さん(スローフードすぎなみTOKYO代表)は、宮城県気仙沼市を訪れ、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが募ったスローフード気仙沼への支援金を、理事長の菅原昭彦さんに直接手渡しました。
この支援金は<顔が見える相手に、直接支援>を訴え、震災直後の3月14日にスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが呼びかけたものです。
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/)
その結果、5月2日までに、全国各地のスローフードメンバーやその知り合い、このwebサイトの閲覧者、スローフードすぎなみTOKYOと交流があるスローフードベルリン、東京・新宿の居酒屋「あいうえお」などから合計940,997円が寄せられました。また、4月13日に日本料理のチャリティー・ビュッフェを開いたスローフードベルリンからは、参加者がスローフード気仙沼のメンバーにメーセージを書き込んだノートも届きました。左の写真は、そのノートに見入る菅原さんです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/)
菅原さんのご家族は全員無事でしたが、スローフード気仙沼のメンバーの方が1人亡くなりました。また、菅原さんが営む男山本店という日本酒の酒蔵では、数人の方が亡くなり、家を失った社員も何人かいます。「ここ気仙沼では、生きている人が100人いると、300のドラマがあるんです」と、菅原さん。
菅原さんはこう語ります。「漁業の町・気仙沼では、漁業生産者への直接的な支援は難しいでしょう。今後求められるのは、つながりを絶やさない継続的な支援です。今回の震災は、地域社会を大きく変えます。スローフードにできることは、その変化のなかで、この土地で培われたきた伝統や漁村文化を継承してゆくことです。私の友人は、『いままで、おれたちは海から色々な恵みを受けてきた。今回の津波で、おれたちはそれをいったん海に返したんだ』と、言っています」
5月4日午後4時現在、気仙沼市で死亡が確認された人は913人。行方不明者663人。全壊した家8,383戸。半壊した家1,861戸。人口約73,000人のうち4,930人が、市内51の施設で避難生活を送っています(宮城県調べ)。
市内中心部の、巨大な力で引き裂かれた人間の暮らしを見て、佐々木さんに同行したスローフードすぎなみTOKYOのメンバーは、ただ立ち尽くすだけでした。
しかし、復興の歩みはすでに始まり、菅原さんはその一端を担っています。港に面していた男山本店の事務所は昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されていました。事務所は、1・2階部分が消滅。3階がそのまま地上に落ちてしまいました(写真下)。地盤沈下のため、満潮時には前の道路が冠水します。酒蔵にも、門の数メートル手前まで海水が押し寄せましたが、幸いにも津波の被害は免れました。そして、昨年11月に仕込んだタンク2本が無傷で、なかから「もろみ」が呼吸する音が聞こえたそうです。復興を望む被災者の声に押された菅原さんは、その「もろみ」で新酒造りを決意し、3月28日に銘酒「蒼天伝(そうてんでん)」を絞り終えました。菅原さんの新酒造りはテレビで伝えられ、報道された新聞や雑誌の記事や、励ましのメールが新たな事務所に貼られています。
↑ 震災を乗り超えて生まれた、気仙沼・男山本店の「蒼天伝」
東日本大震災 支援⑤
高円寺・被災地応援マルシェ(市場)
投稿日 2011年05月04日
スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日/5月1日の二日間、
福島原発災害の風評被害に遭っている生産者の方たちを支援するため、
<被災地応援マルシェ(市場)>を、JR高円寺駅南口広場で開きました。
このイベントのきっかけとなったのは、昨年、宮崎県で広がった口蹄疫への支援イベントを、スローフードすぎなみTOKYOと一緒に行った大学生グループの一人、神野政史(東京農大3年)さんの想いです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2010/07/790/)
実家が、福島第一原発から避難を強いられる計画的避難地域・川俣町の一部にある神野さんは、放射能汚染の風評被害を受けている多くの地域の生産者に、何かアクションを起こせないか、と思いました。その想いに応え、スローフードすぎなみは4月30日/5月1日に開かれる<第3回高円寺びっくり大道芸2011>で、風評被害を受けている地域の方たちに、生産物を販売する場を、自分たちの力でささやかながら作ろう、と考えたのです。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応えてくださったのは、スローフード福島、スローフード茨城(写真右上・サブリーダーの中川純一さん)、農家の若い世代の就農を目指すレストラン・東京/六本木の「六本木農園」(写真右下・弥生一葉さん)、福島県の「JAしらかわ」など。
スローフードすぎなみは、前回の「座の市」に引き続き、スローフード福島メンバーである斉藤保行さんのキュウリ、同じく福島のメンバーである人気酒造の日本酒・リキュール・「食べる酒粕」などを販売し、スローフード茨城は、レタスなどの生鮮野菜のほかに、小鯛やカレイなどの魚介類も持ち込みました。また、六本木農園の生産者グループは、鈴木農園の「ジャンボなめこ」、内山さんのサツマイモ、堀米農園のウド、田中さんのnippa米、若手生産者グループ「農援隊」のコメ・アスパラなどを網羅。JAしらかわは、コメ・餅・イチゴ・野菜などを売りました。
今回、販売の中心になったのは、スローフードすぎなみのメンバーや、その知人・友人の女性たちです。彼女たちが担当する斉藤さんのキュウリ、人気酒造の日本酒などは次々に完売し、日本酒は追加注文を出しました。手伝ってくださった女性のなかに、実家と田が津波で被災し、さらに福島第一原発の警戒区域に指定され、故郷に立ち入ることができない浪江町の方もいらっしゃいました。 「風評」は姿や顔・形が見えない場所から、想像力で生まれます。2日間、呼びかけ、売り続けた女性たちのエネルギーは、その被害を風のように吹き飛ばしたのかもしれません。 そして、浪江町の方にいただいた、津波に侵される前に穫れた「最後の玄米」の味わいに、言葉を失ってしまいました・・・・・・。
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援④
スローフード沖縄・奄美からのたより
投稿日 2011年04月22日
4月20日、スローフード沖縄・奄美が主宰するNPO法人「食の風」は、 震災被災者を支援する『沖縄でニッポンを復興させる会』を設立し、 沖縄本島・中部の宜野座村(ぎのざそん)に、 福島第一原発事故の被害者など15家族受け入ることを発表しました。
この日、スローフード沖縄・奄美会長の田崎聡さんは、設立5団体の代表者とともに、沖縄県庁で記者会見を開催。会の設立と、宜野座村(ぎのざそん)による15家族受け入れが、新聞各社・テレビ各局で報道されました。→ Okinawa Zinoza 01 4月9日正午現在、沖縄在住の震災避難者は887人(朝日新聞調べ)。しかし、その多くは沖縄出身者や個人的な関係による避難で、自治体と民間団体が行う組織的な受け入れは、沖縄県では初めてです。避難者の住居費は、1年間無料(光熱費別)、那覇への航空運賃も無料(暫定5月末まで)。受け入れ農家での農作業のほか、休耕農地での耕作が可能です。
受け入れ先となる宜野座村は、那覇空港から沖縄自動車道経由で約1時間半。人口約5,500人の沖縄本島中部に位置する村です。阪神タイガーズのキャンプ地として知られ、また、漢那ダムをはじめ5つのダムがある沖縄の水瓶です。昨年3月、「有機の里」宣言をした宜野座村は、環境保全型農業を地域ぐるみで目指しています。したがって、環境保全型農業を目指す方たちにとって、うれしい場所です。
宜野座村エコ野菜研究会の志良堂貢さん(写真下・左)は、10年前から化学肥料を一切使わず独自の肥料を開発し、無農薬で野菜を栽培するために、在来種のクモやカエルを使って害虫の駆除をしています。「宜野座で、マッチョンドー(宜野座で、待ってるよ)」と、志良堂さん。また、3年前に農業研修で宜野座村に来た菅野里志さん(写真下・右)は、福島県出身。研修終了後、宜野座村に移住してイチゴなどを栽培しています。菅野さんは、JAの支援体制や行政のバックアップがしっかりしていて、移住を決意したそうです。スローフード沖縄・奄美の田崎さんは、「被災地と沖縄との交流を通して、第一次産業から復興につなげてゆきたい」と、語ります。
↓ 『沖縄でニッポンを復興させる会』(設立趣意書) Okinawa Ginoza 03
また、4月17日、那覇市久茂地のフレンチ・レストラン「メゾン・ド・フジイ」は、震災復興へ向けたチャリティー・ディナーを開き、売り上げを、スローフード沖縄・奄美を通してスローフード気仙沼の支援に寄付してくださいました。
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援③
スローフードベルリンからのたより
投稿日 2011年04月17日
4月13日、ドイツ・スローフードベルリンの料理研究グループは、 スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが「緊急アッピール」で訴えた<顔が見える相手への支援>に応え、 スローフード気仙沼を支援するため、 日本料理のチャリティー・ビュッフェを開きました。
(参照:緊急アッピール→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/)
午後7時から、ベルリン中央駅のレストラン“ディークマンズ・アウスターンバー”で開かれた日本食のビュッフェには、約60人が集まりました。このイベントを呼びかけたのは、スローフードベルリンのメンバー河野直登・章子夫妻。日本料理の料理人の直登さんと料理研究家の章子さんは、20年以上ベルリンに住んでいます。そして、その二人を、スローフードベルリンのメンバーがサポートしました。
二人が中心になって作ったのは、かけ蕎麦(右上)、マグロのぬたソースかけ(右中)、わかめサラダ(右下)、うら巻き寿司(左下・上)、エビの春雨揚げ(左下・下)など、13種類の日本料理。河野さんたちスローフードベルリンのメンバーは、ほぼ毎月一回集まり、テーマを決めて料理を作っています。そのため、チームワークは抜群だそうです。日本のビュッフェ・パーティの味わいが、河野さん夫妻とベルリンのメンバーの手により、次々にベルリンで再現されました。
このチャリティー・ビュッフェで、集められたスローフード気仙沼への義援金は、約5000ユーロ(約55万円)です。また、参加者は、気仙沼の人たちへのメッセージを、ノートに書き込みました。これらのお金とノートは、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが集めた義援金とともに、スローフード気仙沼の菅原理事長に直接手渡されます。被災者の方たちへの絆は、河野さんやスローフードベルリンの仲間たちから、日本のスローフードという<輪>を通して、気仙沼へつながってゆきます。
河野さんからのメッセージ 「今のベルリンの代表者、イエーガーさんも、これまでスローフードドイツにおいて、このように素晴らしいチャリティーは初めてだ、と感銘していました。これも、私の友達がみんなで協力をしてくれたおかげです。これを通じて、デモに参加をしたり、おいしい食べ物を探したりするだけではなく、募金をしたり、人と人とのつながりを作るスローフードに発展していってくれれば、私はうれしいです。
イエーガーさんいわく、新たな第一歩、です。私は外国人ですが、皆さんにとても良くして頂き、みんなの中に溶け込んでいます。人は外見、職業、年齢、出身、性別、個性を全く関係なしに、ひとつのもので結ばれるものです。
私は本当はくよくよ悩む性格なので、自分で前向きに、そしてポジティブな考えで物事をすることにしています。日本の被災者の方も、ご苦労がたくさんありますが、自分で自分を苦しめず、良い方向に向かって歩いて欲しいです。 河野章子」
Photo by Ulrich Greiner
Spender Name (募金をした人の名簿)
Shoko Kono / Naoto Kono / Henner Senf / Anke Lüdeling / Thomas Marek /Ulrich Greiner / Eckhard Kröger / Simone Zorr / Christian Zorr / Mario Gaideck / Silvia Gaideck / Bernd Schoppe / Jürgen Eifler / Michael Geier / Uwe Schmelter / Susanne Metz / Gabriele Hauptvogel / Reinhardt Knoop / Solitaire Hotel / Ulrich Rosenbaum / Rudolf Enste / Volkmar Dittberner / Jörg Kleuver / Stephan Thome / Thomas Nagel / Annette-Susanne Voigt / Klaus Stamner / Annette Sand-Greiner / Christina Greiner / Ulrike Rösler / Stefan Altekamp / Heidrun Wangnick / Siegfried Wangnick / Daniela Gogel-Schasler / Stefan Abtmeyer / Barbara Fischer / Alexandras Jussios / Giesela Scholtyssek / Wolfgang Scholtyssek / Lars Jäger / Joachim Sawitzki / Katrin Giersig / Junko Salzmann-Kawashima / Wolfgang Gandeck / Heike Wolf / Kai-Uwe Wolf / Horst Meier/ReinhardBarnsdorf
↓ Slow Food Berlin のこれまでの活動 http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2011/02/1286/ http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2010/10/1142/ http://www.slowfood-suginami.com/overseas/2010/08/947/






























