スローフード岩手からのたより

投稿日 2013年10月20日

11月9日、スローフード岩手が協賛する「岩泉短角牛といわて晩秋の恵みを味わう会」が銀座で開かれます。この会は、スローフードのArk(味の箱舟)に2005年11月にリストアップされた『日本短角種』の牛肉と『安家(あっか)地大根』、地元の豆類などを、フランス料理で味わう貴重な機会です。都合がつく方はぜひご参加ください。

日時:11月9日(土)午後12時30分~午後3時
会場:銀座“kansei” 銀座5-6-13西銀座ビル3F TEL03-3573-7521
        http://ginzakansei.com/
会費:6,000円(20名限定)
申し込み:info@iwate-food.com いわてフーディング・ラボ
参照→20131109銀座kansei

スローフード岩手の事務局がある岩泉町はいま紅葉の盛りを迎え、安家大根も収穫期を迎えています(↑写真上右、TV取材中)。でも、松茸や山葡萄など自然の恵みはそろそろ終わり、初霜・初雪の声を聞く今月末には、短角牛たちも里の牛舎に帰ってきます。観光客の賑わいはなくなりますが、もうすぐ空気が澄んで満点の星空の輝く、静かで温かい季節がやってきます。
東日本大震災の津波被害を受けた小本地区では、集団移転予定地の整地が終わったくらいで、住宅の再建は来年春以降になるそうです(↑写真上左)。町中心部には災害公営住宅ができ、数世帯が入居しました。

現地発・“AsiO Gusto” 2013

投稿日 2013年10月05日

韓国のソウル郊外・南楊州(ナミュヤンジュ)市で、10月1日から6日までスローフードの国際大会「AsiO Gusto」が始まりました。この催しはスローフードインターナショナルが2年に一回、イタリアのトリノで開くサローネ・デル・グスト(味覚の集まり)をモデルとし、南楊州市が全面的にバックアップする「食」の大規模な展示&学習のイベントです。日本ではテッラ・マードレ(大地の母)などのイベントを各地の支部(コンビビウム)が開催し、スローフードジャパンは形の上でそれを主催あるいは共催しています。しかし、スローフードコリアのようにそれぞれの国の組織が開催国以外に参加を呼びかける国際的な催しは、AsiO Gustoがアジアでは初めてです。

南楊州市は、ソウルのベッドタウンとしてここ20数年で人口が2倍以上増た新興住宅地。日本の同じような地域と同様、農業地域だった南楊州市にも開発の波が押し寄せました。開発にともなう八堂ダムの建設によりダム湖周辺の農家は水源の環境を守るため有機農業を取り入れ、南楊州市はいまでは韓国を代表する有機農業地帯です。最近そのダム湖への未処理下水の放流が発覚しましたが、2年前にはIFOAM(世界有機農業連盟)による世界有機農業大会が開かれました。
AsiO Gustoの開会式は様々なアトラクションで始まり、地元の政治家多数の挨拶に続きスローフードジャパン副会長の佐々木俊弥さんの挨拶もありました。療養中のカルロ・ペトリーニ会長と重要なプロジェクトを抱えるアリス・ウォーター副会長は出席できずビデオメッセージが流され、最後にパオロ・クローチェ事務局長がスローフードの新たな展開を語りました。スローフードは今後、アフリカでの菜園計画と、Ark(味の箱舟)の拡大を中心に活動してゆきます。

日本からはAsiO Gusto に9つの支部(コンビビウム)の34人が参加しました。
新たな活動を始めた日本のArk(味の箱舟)には展示コーナーが設けられ、とくに最近Arkに登録された長崎県・対馬の「せん」は、水で練った実物が展示され入場者の目を引いていました(→右)。「せん」はサツマイモを乾燥させた粉で、麺などにして食べます。
また、『生物多様性』をテーマにSF長崎の岩崎さんが(↓下左)、『発酵食品』でSF北海道の高橋さんが、『味覚教育』で学習院女子大の品川さんが(↓下右)、『食べ物と霊性』でSFすぎなみTOKYOの佐々木さんが、それぞれプレゼンテーションをしました。

日本からの参加者によるさまざまなワークショップも予定されていましたが、じつは日韓の行き違いで予定から抹消されてしまったものもありました。そこで、参加者が韓国側の担当者と直接交渉して実現したのが、SF長崎・SF高知・SF山形による3支部合同ワークショップです。開催が急遽決まったにもかかわらずインターナショナルパビリオンの会場には予想以上の入場者が集まり、高知のユズ酢を使った伝統寿司、長崎の雲仙コブ高菜の漬け物、山形の花づくり大根の漬け物の3点セットを試食しました(↓上・下左)。SF北海道の「おにぎり」(↓下右)、SF山形の「紅花」、SF長崎の「フードコンシャスネス」のワークショップは計画通り行われました。さらに、日本のナショナルデーには、SFすぎなみTOKYOにより西伊豆の鰹節が紹介されました。

 

AsiO Gustoの会場は、サッカーコートや体育館がある南楊州体育文化センターです。広い敷地に大型テントが4つ建てられ、出展ブース用の小さなテントも多数並んでいます。日本からの参加者の多くは山中の体育施設に合宿し、会場・空港へはシャトルバスが出ます。中国・インドネシア・フィリピン・ベトナム、遠くはカザフスタンやグルジアなど10数カ国の人々にも、食事(←右)、宿が無料で提供され、一部の国には航空券も支給されます。これら4億3千万円を超える費用を集め、多くをボランティアによってこのAsiO Gustoを運営するスローフードコリアの組織力には感服します。入場者は、この報告を発信中の10月5日午後3時の段階で、計画の30万人を上回る34万人に達しています。残念ながら、いまのスローフードジャパンにはそんな力量はありません。もちろん、このような大きなイベントを開催することがスローフード運動の目的ではありませんが、そのイベントによってスローフードの国内外のメンバーが交流するだけではなく、スローフードの存在が多くの人に認知されることも事実です。

夕食に立ち寄った市内の小さな食堂で隣り合わせた若い女性たちが、スローフードについて知っているのには、驚きました。スローフードはメンバーの内側だけで語られる運動ではなく、その存在をスローフードの外に向かって語り、呼びかけ、巻き込む運動です。日本と韓国のスローフードの違いを超え、スローフードという国際的大きなな流れのなかにいることが実感できる日々です。その流れの底には、食べる喜び、楽しさ、「こだわり」があります。

 

 

食育 at 湘南ベルマーレのサッカー教室  スローフード秦野からのたより

投稿日 2013年04月17日

スローフード秦野は、3月31日秦野市中央運動公園で、サッカーJ1リーグチーム / 湘南ベルマーレが開催したサッカー教室「サッカー・ファミリー・フェスタ」のプログラムのひとつとして「食育ラリー」を行いました。この「食育ラリー」は、サッカーを練習する5~7歳児とその親たちに、食べ物について正しい知識を伝えることを目的としています。スポーツとスローフードを結びつけようという試みは、日本ではもちろん初めて、世界でも聞いたことがありません。

この日、会場の秦野市中央運動公園の横を流れる水無川の土手は桜が満開でしたが、天候は一ヶ月後戻りした2月のような寒さ。その寒さにも関わらず、「サッカー・ファミリー・フェスタ」には150名を超える親子が集まりました。3回に分けられて開かれた「食育ラリー」には、そのうち約4分の一の合計40人あまりが参加。複数の子供を連れた親が目立ちました。
「食育ラリー」は、まず管理栄養士・料理研究家の小島麻衣子さんの「皆さ~ん、朝ご飯は食べてきましたかァ?」という質問から始まります。つづいて、市内のお茶生産者・山口勇さんが秦野名産の落花生のぬいぐるみ一緒に秦野の農業について説明し、いよいよ本番です。小島さんが「食育カルタ」と食品サンプルなどで語る食べ物の正しい知識に、子供たちは活発に反応します。「食育カルタ」は、3年前のスローフードジャパン奈良総会の時に奈良教育大学の学生たちが発表した食育のためのメソッドです。とくに、食品表示の内容と意味の説明には、子供だけではなく親たちも熱心に耳を傾けていました。

このプログラムを企画した湘南ベルマーレの横山由梨さん(スローフード秦野メンバー)は、「子供たちの身体的なパフォーマンスは、だいたい8歳位までで基礎ができます。この時期に、食習慣を通してそのパファーマンスを上げ、サッカーを楽しんでもらいたいと思いました」スローフード秦野では、湘南ベルマーレと一緒に、今後もこの「食育ラリー」を継続する計画です。神奈川県は、かつて中田英寿も在籍したJ1リーグの湘南ベルマーレ、横浜FマリノスのほかにJ2の横浜FCなどプロチームが三つ、U-18のリーグもあるサッカーが盛んな土地柄です。スローフードを日本に根付かせるためには、スローフード秦野のこの試みのようにそれぞれの支部(コンビビウム)の地元や地域に即した独自の活動が必要です。

イタリアのプレシディオ野菜、                                                               カルド・コッボをバーニャカウダで味わう

投稿日 2013年02月13日

 

スローフードは、社会の変化によって消滅してしまう可能性がある食品・食材をArk of Taste(味の箱舟・アルカ)としてリスト・アップしています。 さらに、アルカより厳格な条件を満たした世界中の365品目(2012年8月現在)を、Presidia(味の砦・プレシディオ)に指定して保護に努めています。プレシディオのひとつに登録されているのが、イタリア・アスティ市郊外で採れるカルド・コッボという葉野菜です。そのカルド・コッボを、生産者のボンジョバンニさんが私たちへ個人的に送ってくださいました。
そこで、スローフードジャパン東京/神奈川ブロックと貴重な食品・食材のリストアップを進めるArk(味の箱舟)委員会のメンバーは、ボンジョバンニさんのカルド・コッボをバーニャカウダで食べる会を開きました。人と人のつながりがあれば、スローフードが掲げる国際性は組織に頼らなくてもこんな形で実現できます。スローフードを生むのは、人間とその魅力です。

ボンジョバンニさんが住むニッツァ・モンフェラット村へは、イタリア北部の都市トリノから車で約1時間。じつは、昨年10月トリノで開かれたスローフードの国際的なイベント「テッラ・マードレ&サローネ・デル・グスト」に参加したArk(味の箱舟)委員会のメンバーは、プレシディオ(味の砦)の生産現場を見学するためにニッツァ・モンフェッラット村を訪れたのです。ボンジョバンニさんが生まれた約70年前、カルド・コッポは市場で人気があり、ボンジョバンニさんは「私はカルド・コッボの間から生まれたんです」と、笑いました。

カルド・コッボは、茎を軟白化(柔らかく)させた葉野菜です(↑写真上)。日本にも、同じように茎を柔らかくさせる葉野菜があります。Ark(味の箱舟)に登録されている山形県の「雪菜」です。雪菜の場合は雪の中に寝かせて茎を柔らかくしますが、イタリアのカルド・コッボは土に寝かせます。ところが、カルド・コッボが売れるようになると充分に軟白化させない物が出荷されるようになり、味の評判が落ちて売れなくなりました。伝統的な方法で作り続けるボンジョバンニさんのカルド・コッボが、テレビの番組で放映されて売れるようになったのは10年ほど前からです。そして、ローマやナポリのレストランから注文が来るようになりました。ボンジョバンニさんが一人で守ったカルド・コッボは2006年にプレシディオ(味の砦)に認定され、彼はスローフードの名誉会員証をうれしそうに見せてくださいました。カルド・コッボは、まるでセロリのようです。トリノ近郊に住む人の協力で日本に来たボンジョバンニさんのカルド・コッボは、まず茎を分けて筋を取り、収穫してから時間がたつと生まれるエグ味を、レモン水に浸して取りました。

スローフードのプレシディオ(味の砦)に日本で唯一登録されているのは、長崎県の「雲仙こぶ高菜」です(↑写真上右)。その「雲仙こぶ高菜」を、雲仙市で伝統野菜を栽培している岩崎さん(スローフード長崎会長・↑写真上左)が送ってくださいました。岩崎さんは「雲仙こぶ高菜」だけではなく、カルド・コッボと一緒にバーニャカウダで食べる「女山大根」「長崎赤蕪」なども送ってくださいました。地域に伝統的な食品・食材を維持・復活させるのが、Ark(味の箱舟)の目的です。そこで、カルド・コッボの生産地直伝レシピで作るバーニャカウダには、日本で最初にArk(味の箱舟)にリストアップされたもののひとつ「エタリの塩辛」を使いました(↓写真下の下段)。本場のバーニャカウダには、オイル漬けのアンチョビ(カタクチイワシ)ではなく塩漬けのアンチョビが使われますから、「エタリの塩辛」は最適です。さらに、ワインはメンバーの一人がイタリアで手に入れたバローロ、バルバレスコ。バローロは1980年代品質が悪化し、スローフード運動が生まれるきっかけになったワインです。

使われた食品・食材が、ほとんどスローフードに関わるもので開かれたこの日のカルド・コッボの試食会は、スローフード的に考えると夢のように豪華な宴でした。会場が個人の住宅だったため参加人数を制限せざるえませんでしたが、集まったのはスローフードすぎなみTOKYOをはじめ、スローフード東京・東京Bay・横浜など東京/神奈川ブロックの4つの支部(コンビビウム)のメンバーと関係者。まさに、スローフードを支えるのは、会議ではなく人と人のつながりなが生む喜びであることを実感できた一夜でした。スローフードは、食べる喜びから社会や経済を変えてゆく運動です。
ボンジョバンニさん、岩崎さん、ありがとうございました。

現地直伝レシピ : 塩漬けアンチョビで作るバーニャカウダ

                            by 黒川陽子 / Ark(味の箱舟)委員長

材料
塩漬けアンチョビ(カタクチイワシ *オイル漬けではない)、ワインビネガー適量、オリーブオイル200g(リグーリア州タジャスカ種のものが好ましい)、ニンニク5片、牛乳適量、酢小さじ1/2(一人あたり)、唐辛子適量(隠し味)、バター小さじ1 (一人あたり)

作り方
①塩漬けにしたアンチョビを、ワインビネガーに30~40分漬け込み、塩抜きをする。
②アンチョビを3枚におろして水気を切り、内臓を取り除く。1人分100gを用意して、身をほぐす。
③ニンニクの芯を取り、柔らかくなるまで牛乳で煮る(水で煮る場合は、ニンニクが柔らかくなるまで3回ほど水を替える)。
④ ③をつぶし②のアンチョビと合わせ、オリーブオイルをヒタヒタになるまで加える。
⑤ ④を入れた器を火にかけ、アンチョビが溶けてなくなるまで混ぜる。
⑥酢、バター、唐辛子を入れて仕上げる。
⑦ ⑥のソースに野菜を浸して食べる。

                                      

ベルリンのメンバーが観た、                                      日本とスローフード

投稿日 2013年01月28日

 

昨年7月、12人で日本へやって来たスローフードベルリンからの報告が、スローフードドイツが12,000部あまり発行する 雑誌“SlowFood”の1月号に掲載されました。ベルリンの仲間たちの目に、日本と日本のスローフード運動はどのように映ったのでしょうか? スローフードが掲げる国際性は、イタリアとのパイプだけではありません。各国のメンバーがこのようにつながることこそが、スローフードの国際性です。ベルリンのメンバー河野章子さんが掲載記事を日本語に翻訳してくださいましたので、下記からお読みください。

http://www.japanische-kochkurse.de/13.html

 

 

ベルリンのメンバーをアテンドした日本側からの報告は、以下をご覧ください。

スローフードでつながる① ドイツから仲間がやってきた                         http://www.slowfood-suginami.com/overseas/2012/07/2757/

スローフードでつながる② 乾杯 !!  Zum Wohl !!                                                 http://www.slowfood-suginami.com/overseas/2012/07/2768/

スローフードでつながる③ 梅雨が明けた……                   http://www.slowfood-suginami.com/news/2012/07/2796/

スローフードでつながる④ ひと味違う東京ツアー                 http://www.slowfood-suginami.com/news/2012/07/2817/

スローフードでつながる⑤ あの日が生んだ“きずな”                        http://www.slowfood-suginami.com/news/2012/07/2855/

スローフードでつながる⑥ ともに生きる                              http://www.slowfood-suginami.com/news/2012/08/2889/

サローネ・デル・グスト&テッラ・マードレ2012 速報!!

投稿日 2012年10月25日

イタリア・トリノ市で、10月24日午後7時から、サローネ・デル・グスト&テッラ・マードレ2012の開会式が行われました。会場は、日本の建築家・磯崎新が2006年の冬季オリンピックのために設計した屋内競技場。世界約150ヵ国のメンバーやトリノ市民など約7,000人が集まりました。

1996年から2年に一回開かれてきたサローネ・デル・グスト(味覚の集まり)は、今年で9回目を迎えるヨーロッパ最大の“食”のイベントです。そのサローネ・デル・グストに2004年から加わったのが、世界中の生産者・調理人などが集まる“食”に関する国際会議テッラ・マードレ(母なる大地)。スローフードインターナショナルが開くこの催しは、いまやトリノ市やピエモンテ州をあげての行事になっています。

このサローネ・デル・グスト&テッラ・マードレの開会式で、スローフード福島のリーダー・須藤陽子さんがスピーチを行いました。スピーチは「大地」「種」「水」「生物多様性」など6つのキーワードをテーマに各国の代表が行い、「エネルギー」というキーワードで須藤さんが訴えたのは、原発災害に被災した福島県の現状と脱原発です。水を打ったような会場からはときおり静かな拍手が起こり、参加者は福島からの生の声に耳を傾けました。このスピーチは、スローフードジャパンからの提案ではなく、今年3月来日したスローフードインターナショナルのパオロ・クローチェ事務局長に、日本のメンバーの一人が被災した須藤さんのトリノへの招待を個人的に求め、実現したのでした。

福島市内で有機農業をしていた須藤さんは、去年の原発災害によりそれまでの農業を断念せざるをえませんでした。一年間悩んだ末、須藤さんが選んだのは、地元福島で農業を続けることです。須藤さんは、今年の春、市内西部の比較的放射能汚染が低い地域に農地を借り、大豆を作っています。

 

開会式は、各国代表のスピーチや、ゲストのFAO(国連食糧農業機関)の代表のスピーチのほか、1997年にノーベル文学賞を受賞した劇作家ダリオ・フォーによる一人芝居、音楽家ロイ・パーチェがこの日のために結成したバンド「テッラ・マードレ・オーケストラ」による演奏など、同時通訳を聞けなくても楽しめる工夫もありました。

2年に一回開かれるこのイベントは、スローフード運動の国際性とネットワークを象徴する行事です。最後に挨拶に立ったペトリーニ会長は、スローフードは食に関わるきわめて本質的かつ“政治的”な運動だと断言しました。ペトリーニ会長が言う“政治”性をどう実現してゆくのか、日本のスローフード運動は問われています。サローネ・デル・グスト&テッラ・マードレ2012のテーマは、『“食”の権利』です。

スローフード横浜からのたより

投稿日 2012年09月29日

スローフード横浜がメンバーの総力をあげて美味しい食材を集め、元町のイタリアン「リストランテ・グランドゥーカ」斉藤シェフの料理を食べる会を開きます。この会は、昨年11月には、メンバーが相模湾で獲れるカタクチイワシで試作した「湘南アンチョビ」を味わうなど、美味しさに関わるさまざまな活動をしています。今回は、この夏NHKの番組『キッチンが走る!』で紹介された市内西谷の苅部さんの野菜や、チーズのプロフェッショナル村松綾子さんの講習が楽しめます。美味しさは、スローフードの原点です。
2012年秋のスローフード横浜イベント情報
(写真はすべて、昨年11月の「湘南アンチョビを食べる会」)

日時:10月13日 午後5時30分~
場所:リストランテ・グランドゥーカ元町店
  ☎045-663-0790 http://www.granduca-jp.com
会費:3,000円(非会員3,500円)
申し込み:090-3384-4560 井上

(↑写真右下は、味の比較のために付け合わされた長崎の「味の箱舟」エタリ)

スローフードでつながる④ 7月18日

投稿日 2012年07月27日

東京滞在の第一目。スローフードベルリンのメンバーは、希望が多かった築地市場と浅草寺を訪れました。いずれも外国人観光客の人気スポットですが、スローフードがアテンドすると一般の観光客には味わえない経験ができます。

 

魚河岸(うおがし)とも呼ばれる東京の築地市場には、近年、訪れる外国人観光客が増えて業務に支障をきたすようになったため、場内の入場に規制が設けられました。外国人観光客は、原則として午前9時以前には入場できず、ガードマンが巡回しています。しかし、ベルリンのメンバーが築地市場に到着したのは、午前7時半、しかも12人という多人数です。そこで、入場するために、彼らをアテンドする東京のメンバーと個人的なつながりがある場内のマグロの仲買人の方を、訪問するという形を取りました。
築地市場を見学する外国人観光客のほとんどが、場内に並ぶ魚を見てもそこで働く人たちを見ていません。そこで、東京/神奈川ブロックの Welcom委員会は、市場の東京魚市場青年団体連合会とスローフードベルリンのミーティングを設定しました。そのミーティングでは、場内の鮨屋で特別注文の本マグロ・ミナミマグロ・メバチマグロの3種類のマグロを(↑ 写真上段)味わったばかりのメンバーが、そのマグロを中心に日本の漁業に関ついて質問を連合会の出席者に投げかけました。実際に食べて、話し合う……。それが、東京/神奈川ブロックのWelcome委員会が考える<スローフード流>です。

浅草寺では、執事の大森和潮師がスローフードベルリンのメンバーを待っていました。浅草寺には、絵馬堂・伝法院など一般には非公開のエリアがあります。和潮師の案内で、東京の住人でもなかなか入る機会がないその非公開エリアに、ベルリンのメンバーは入りました。あるメンバーは、江戸時代から奉納されてきた数多くの巨大な絵馬や、境内の喧噪のなかにあるとは思えない美しい伝法院の庭園を、まるで別世界だ、と表現しました。これもまた、一般の観光とは異なるスローフード流の浅草の味付けです。大森和潮師もまた、東京のメンバーのひとりと個人的なつながりがあります。

知恵と人がそろえば、スローフードの国際交流はスローフードジャパンに頼らなくても充分に可能です。スローフードジャパンの国際本部担当者は、このスローフードベルリンの日本訪問にまったく関わっていません。今回のように国外の支部(コンビビウム)がグループで日本の支部を訪れるのは、もちろん初めてです。世界にもあまり例がない、と言います。しかし、国内の支部がこのように直接国外の支部とつながることこそ、スローフードジャパンの後藤毅会長が提唱する<スローフードジャパンのリーダーシップではなく、各コンビビウムのフラットな活動を!>という方針に沿った活動です。ベルリンの仲間たち12人の日本訪問が、スローフード運動を作り出すのは組織ではなく人である、と教えてくれます。

ベルリンのメンバーは、隅田川を下る水上バスで浅草をあとにしました。

 

スローフードでつながる③ 7月17日

投稿日 2012年07月26日

スローフードベルリンのメンバー12人が秦野に滞在中の7月17日、関東地方の梅雨が明けました。最高気温、33℃。北緯52度(サハリン中部に相当)のベルリンとは異なる日本の夏の訪れに、しかし、12人は精力的でした。

スローフードベルリンのメンバーが前夜泊まったのは、秦野の隣・七沢温泉の日本式温泉旅館『元湯・玉川館』です。長い日本滞在中、メンバーは初めて畳の上で眠りました。鬱蒼と茂る葉から木漏れ日が漏れる目覚めを、エルケ・マイヤーさんは「素晴らしかった !!」と、語ります。国を問わず自然を愛する心を持っているのが、スローフーダーの特徴かもしれません。

ベルリンでは味わうことがない<うだるような>暑さのなか、メンバーは東田原の『ふれあい農園』に立ち寄りました。『ふれあい農園』は地元の農家の組合が運営する約300区画の貸し農園で、主に秦野市街や湘南方面に住む人たちが家庭菜園を耕しています。メンバーの関心は、菜園に水をどうやって散布するのかなど、里山の豊かな自然にありました。

秦野の背後にそびえる信仰の山、大山。そのヤビツ峠への登り口にある宝蓮寺は、別名茶湯寺とも呼ばれる鎌倉時代に開かれた古寺です。秦野では座禅とお茶で知られているこの寺で、ベルリンのメンバーは座禅を組み、茶席に臨みました。立っているだけで汗が噴き出す酷暑のなか、欧米人には苦手なはずの正座や胡座(あぐら)を長時間続けるのは、拷問(?)に近かったかもしれません。しかし、メンバーから苦情やリタイアは出ませんでした。我慢強いその姿から、日本のスローフードを理解するために、日本の文化も吸収しようとする真摯な気持ちが伝わってきます。座禅や茶席に参加せずいち早く逃げ出したぼくに比べ、彼らは本当に真面目です……。

秦野でのお別れ会は、市内のイタリアンレストラン『クッチーナ・ジータ』で開かれました。スローフード秦野のメンバーでもあるシェフの藤田博さんは、東京の有名店で修行を積み、昨年9月秦野で開店して家族と一緒に店を切り盛りしているそうです。料理に使われる野菜は、すべて秦野産。地場産の食材にこだわる飲食店は、料理人がスローフードのメンバーであればすでに珍しくはありません。スローフード運動は、ここ秦野でも地域に確実に根付きつつあります。

ベルリンのメンバー、ヘンナー・ゼンフさんは、「スローフードの人間は、異なる食文化に心を開きます。来る前に想像したのとは違って、日本は非常に多彩な食文化を持つ国です。そして、どの食べ物についても、日本の人たちが親切にもてなしてくれるのがうれしいです。皆さんがベルリンに来たら、私たちも大歓迎します」 

 スローフードの<つながり>は、バーチャルな面識や組織から作られるのではなく、それぞれのメンバーのハートに触れて生まれます。
スローフード秦野のメンバーからは、ベルリンに行こう、という声が早くも上がりました。

スローフードでつながる② 7月16日

投稿日 2012年07月25日

「スローフードって、何?」という質問を、よく耳にします。
スローフードは、『美味しく、きれいで、正しい』食べ物を指すだけの言葉ではありません。
食べ物が自然の中で育まれるように、スローフードは人々が共に生きる眼差しから生まれます
スローフードとは、食べ物を巡るネットワークの言葉でもあるのです。

スローフード秦野のメンバーは、自分たちが住む秦野に愛情を持っています。秦野訪問第2日目、スローフードベルリンのメンバーはその愛情が伝わってくるような場所を歩きました。
まず訪れたのは、JAはだのが経営する『はだのじばさんず』。ここは、参加する生産者が約740軒に及ぶ神奈川県内最大の農産物の直販所です。農家が農産物を自分で価格設定して消費者に直接販売するシステムは、いまでは日本各地の『道の駅』などでよく見かけます。しかし、この『はだのじばさんず』は国内で最も早く開設された直販所のひとつだ、と言います。JA職員のその説明に、スローフード秦野事務局・勝山稔さんはどこか誇らしげでした。

スローフード秦野のメンバー・山口勇さんは、5代続く農家です。山口さんの茶畑は、市内を流れる水無川に注ぐ葛葉川上流、岳ノ台の里山の斜面にあります。山口さんのお宅を訪れたベルリンのメンバーは、涼しげな沢のわさび田の流れに歓声を上げました。そこに用意されていたのは、メンバーを歓迎する<流し素麺>用の竹の樋。そして、小さな橋を渡った空き地には、餅つき用の臼と杵がありました。流し素麺や餅つきは、日本人にも体験する機会はそう多くはありません。ベルリンのメンバーは、餅つきをちょっと及び腰で、流し素麺は暑さをしのぐ沢の流れに足を浸して、楽しそうでした。メンバーは、日本の食べ物には何にでも興味を示して味わいます。その尽きぬ好奇心こそが、スローフードのハートなのかもしれません……。

家族総出でベルリンのメンバーを歓迎してくださった山口さんは、エッセイストでもあるスローフード秦野の会長・中川璃々さんの著作に自分の茶畑が紹介されことから、スローフード秦野に参加しました。「スローフードは、地域の特性を生かせる活動だと思います。そして、地域の特性とはその地域の歴史だと思います」と、山口さん。自分が住む地域への愛情は、自宅の製茶施設を案内する山口さんからもひしひしと伝わってきました。私たちスローフードすぎなみTOKYOやスローフードベルリンとは異なり、日本の多くのスローフードのコンビビウムは愛すべき生産の現場を持っています。その生産の現場で交わす「乾杯!!」が、ベルリンのメンバーと秦野のメンバーの新たなネットワークを作りました。<交流>は、会議で生まれるものではありません。
この朝、この季節にはあまり姿を現さない富士山が、夏の青い形を見せていました。

スローフードでつながる① 7月15日

投稿日 2012年07月16日

スローフードベルリンのメンバー12人が、日本に来ています。スローフードベルリンは、昨年の東日本大震災で東京/神奈川ブロックがいち早く発した緊急メッセージに応え、支援のチャリティービュフェを開き、スローフード気仙沼を直接支援しました。その支援への感謝の気持ちを込めて、スローフード秦野やスローフードすぎなみTOKYO含むスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックは、彼らの旅をアテンドします。

 

今日(15日)の午後、関西方面での日程を終えて神奈川県秦野市に到着したベルリンのメンバーは、「ほおずき市」を開催中の出雲大社相模分祠に向かいました。この神社の宮司さんは、スローフード秦野の会員です。ベルリンの一行は社務所会館で抹茶を味わい、和服の着付けを体験し、本殿を参拝しました。彼らにとってはいずれも初体験。コンビビウム参加者の協力による、スローフード秦野ならではの歓迎のしかたです。

夕食は山の中の蕎麦屋、「石荘(いししょう)庵」。主人の石井貞夫さんも、スローフード秦野の参加者です。石井さんは、東日本大震災のときに福島県の避難所で蕎麦を打って被災者を支援しました。ベルリンのメンバーは、その石井さんの指導で蕎麦を打ちます。もちろん、プロとアマチュアでは出来映えはまったく違いますが、その違いもまた楽しみのひとつです。蕎麦だけではなく、相模湾産の新鮮な魚のカルパッチョや貝やエビのバーベキューなどにも舌鼓をうてば、まさに食べ物は人と人をつなぎます。そして、オカリナやアコーディオンの演奏、ベルリンのメンバーによる合唱などなども涌き上がり、そこにはたんに<交流>という言葉では語れないひとときがありました。

ドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』  東京で初上映 !!          

投稿日 2012年04月05日

スローフード山形のメンバーが中心になって製作した映画『よみがえりのレシピ』が、東京で初上映されます。
この作品は、4月2日、第36回香港国際映画祭でも上映されました。
日本のスローフード運動の考え方や在り方を知るために、ぜひご覧ください。

4月21日(土曜日)午後8時50分~午後10時20分
4月23日(月曜日)午前11時~午後0時30分
世田谷区 下高井戸シネマ(京王線下高井戸駅下車 TEL 03-3328-1008)
¥1,300円 (前売り¥1,000円)

http://shimotakaidocinema.com/schedule/tokusyu/dokyu2012.html
http://www.y-recipe.net/index.html
 (上映についてスローフードに関する問い合わせ battex02@zap.att.ne.jp)

下記は、フランス上映用に書かれたコメントです。

日本の地域文化と伝統野菜
掛川正幸(*脚本家/記者)

*映画「実録・連合赤軍」で、2008年ベルリン映画祭/最優秀アジア映画賞ほか受賞 

 さいきん、日本ではかつて地域で作られていた固有の野菜・伝統野菜の復活が広がっている。これは、消費者のニーズの多様化によって、野菜も種類を増やさなければならなくなった結果だ。だが、それらの野菜の栽培に使われる種子は、かつて各農家が伝統的に行っていた「自家採種」の種ではなく、多くは大手種子メーカーによって作られた交配種だ。そして、販路も都市部の消費者を対象としている。地域の伝統野菜の復活は、農業協同組合の新たな野菜ビジネスに直結しているケースが多い。

 ドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』のテーマは、それらの伝統野菜復活の動きとは異なり、「食」を通した日本の地域文化の保持と創造だ。登場する野菜の種子は、もちろん自家採種。取り上げられる農法のなかには、数百年の歴史を持つ「焼き畑」もある。そして、何よりもそこで語られるのは、種を守り続けてきた生産者、その種を発掘し価値を語る研究者、さらに栽培された野菜を使う料理人が織りなす、<食のトライアングル>だ。このトライアングルこそが、伝統野菜を保持するだけではなく、その野菜を使ったメニューによる新たな「食」の可能性を通して、伝統に根ざす地域文化を創造してゆくのである。この映画に登場する伝統野菜は、山形県鶴岡市のレストラン「アルケッチャーノ」の奥田政行シェフの手を通して、いまや多くの人が知る「山形イタリアン」へと変身する。映画では、地域に根ざす生産から消費にいたるプロセスが語られる。

 日本の野菜の多くは、原産地が日本ではない渡来種だ。その渡来種の自家採種を繰り返してそれぞれの土壌や天候に適合させた結果、地域の固有種・伝統野菜が生まれた。また、日本で人気が高いイタリア料理も、地域性が強いイタリアの料理が新たなレシピによって現在の味覚になった事は知られている。

 ある哲学者はこう語る。「伝統とは、成功した改革の結果である……」              『よみがえりのレシピ』は、伝統野菜だけではなく、その<改革>を描いている。

( ↓ 山形県鶴岡市の山林で行われている<焼畑>)

3月17日、高知市で
スローフードジャパン総会を開催

投稿日 2012年04月04日

3月17日、高知県・高知市でスローフードジャパン第11回全国大会が開かれました。この大会は、スローフードジャパンが2008年にNPO法人化してから第5回目の会員総会で、法的に定められた総会です。

大会前日(16日)に理事会が開かれ、後藤毅会長が提案した「会長抽選制」が協議されました。これは、NPO法人スローフードジャパンの会長を、<会員総会に参加する39歳以下の会員から2年に一度抽選で選ぶ>という案で、抽選に当たった会長は理事の罷免・会員の除名などの権限を持つという内容でした。しかし、理事会ではこの提案を総会で採決議案とすることが見送られました。(↑写真上 左・総会で講演するパオロ国際事務局長。右上・大会が開かれた高知会館。右下・前日の理事会)

大会は、17日午後1時30分から高知会館で開かれました。NPO法上の会員総会の前に、昨年12月に長崎県雲仙市で開かれた「テッラ・マードレ in 雲仙」と、地元高知の農業についてそれぞれ報告があり、スローフードインターナショナル事務局長パオロ・クローチェ氏と食育オフィス責任者ヴァレリー・コメッティさんの講演がありました。尾崎正直高知県知事が祝辞に駆けつけた総会では、全国9ブロックから18人の理事を選出する事、現会長・副会長・事務局長・監事の続投、2011年度決算、2012年度予算などが承認されました。

会員総会後の懇親会では、高知県の郷土料理が振る舞われ、タケノコやコンニャクの寿司(←写真左上から3番目)やクジラ料理(←写真左上から4番目)などが並びました。クジラ料理は、知る人ぞ知る高知の名物料理です。かつて、室戸岬では紀伊半島の太地から伝わったクジラ漁が行われていて、その伝統がクジラ料理としていまも高知には残っています。宴たけなわわのころ、高知市役所の「よさこい」チームが、鳴子を振りながら乱入。会場は「よさこい」の熱気に包まれました(↑最上段の写真。「よさこい」を踊るヴァレリーさん)。また、声楽を勉強する女子高生が昭和30年代のヒット曲『南国土佐をあとにして』『花はどこへ行った』などを朗々と歌い上げ、南国土佐ならではの、そしてスローフード高知の気持ちやモットーが伝わる大会でした。

高知県は、黒潮が想像させるイメージとは異なる山国です。四国を横断する山脈で瀬戸内海に面する3県と隔てられた高知は、山国ならではの独特の文化を育んできました。高知市の中心部では近郊の生産者が軒を並べ、数百年の伝統を持つ「日曜市」をいまも開いています(↓写真下上)。そして、現在、高知県は農薬に頼らず農作物を天敵や防虫ネットで防ぐ農業技術(IPM)の先進県です。地域と生産物とともに歩むスローフード高知が、今回の大会に掲げたテーマは<足るを知る>でした(↓写真最下段 大会前夜祭で乾杯の音頭をとるスローフード高知の上田孝道会長)。

東日本大震災 支援⑬
スローフード新宿応援団からのたより

投稿日 2012年03月15日

あの日から1年たった3月11日、
スローフード新宿応援団は岩手県岩泉町のハム工房「モーとんふぁみりー」http://www.protoscience.co.jp/iwashin/mooton/と一緒に、東日本大震災のメモリアル<イーティング>を新宿・四谷地域センターで行いました。

この日使われた食材は、スローフードの「ARK(味の箱船)」にリストアップされている岩泉町の日本短角牛。岩泉町では放牧されていた牛の一部から、福島原発災害により基準値以下ですが放射性物質セシウムが検出されました(60ベクレル/1㎏。政府の基準値は4月から100ベクレル/1㎏)。健康には影響ないとされるその肉の料理を食べながら、原発災害が酪農に与えた影響と、被災者の方の話を聞こうという<イーティング>でした。
(↑上左・コールドビーフ 上右・ココット 下左・ビーフシチュー 下右・ハンバーグ)

参加者は、大人31人子供6人。子供や授乳中の母親にはセシウムフリーの食材が用意されました。調理は、仙台のイタリアンレストラン「アルフィオーレ」のシェフ目黒浩敬さんhttp://www.jiyujin.co.jp/organic/page/?page_id=alfiore とモーとんふぁみりーの畠山幸誠さんが担当。目黒さんは自家菜園で店に出す野菜を作り、ハムやパンチェッタなども自分で作っています。「完璧に安全な食材を追求してゆくと、地元の農業や漁業を潰す事になりかねません。厳しい選択ですが、岩泉の短角牛を守るために、今日はこの肉を使います」と、目黒さん。

岩泉町の隣・宮古市の畠山さんは津波で家族と住んでいた自宅と働いていたレストランを失い、いまは仮設住宅に住みながらモーとんふぁみりーに通っています。ときおりメモに目を落としながら、被災したときの状況を語る畠山さん。そこには、テレビのインタビューとは異なり、直接話を聞かなければわからない言葉の重さがありました。その重さが、参加者一人一人の胸に迫ります。「高台への坂道を走って登ったとき、振り返るとそこは海でした」 畠山さんの話が終わったのは、偶然にもあの午後2時46分。
参加者全員で、犠牲者への黙祷を捧げました。

モーとんふぁみりーの<工場長>こと穴田光宏さんは、「普通は、牛肉からセシウムが検出されても、基準値以下であれば数値を記さずに販売されます。でも、ぼくは事実を知ってもらった上で、うちの商品を買って欲しいんです。それが、生産者の支援につながります」 モーとんふぁみりーが販売するビーフジャーキーには、検出された放射線量が記されています。

この<イーティング>に参加したコラムニストの松沢呉一さんは、こう語ります。「東京にも蛇がたくさんいて、この建物の裏にもいます。でも、気がつかないのです。人間には、嫌な物を見ないで済ませる能力があり、蛇を見たくない人は自分で見えないようにしているのです。放射能も同じで我々には見えませんが、それをいいことに、我々が放射能に汚染されている現実を見ないで済ませようとする人たちがいるのです」
スローフードは、原発災害に「観て見ぬ振り」はできません。
私たちは、お皿の外を見るのですから……。

(注:スローフード新宿応援団はスローフードのサポート組織で、スローフードジャパンに加盟する支部ではありません)

東日本大震災 支援⑩
スローフード と 震災 と 「絆」

投稿日 2012年02月08日

日本を文字通り震撼させたあの日から、もうすぐ一年がたとうとしています。          この一年間、私たちスローフードすぎなみTOKYOそして私たちと交流のあるスローフードの支部(コンビビウム)は、 東日本大震災と原発災害にどのように向き合ったのかを、まとめました。                               私たちは何をして、何をしなかったのか……。                       スローフードの「絆」はあったのか……。                          被災しなかった私たちの次の一歩は、その問いを心に刻んで始まります。

緊急アッピール!! 東日本大震災  がんばれ!! スローフード気仙沼         http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/

東日本大震災 支援① スローフード秦野からのたより               避難所で、蕎麦打ち                                                                           http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1471/

東日本大震災 支援② チャリティー in 「座の市」                  風評被害を受けた 福島県産キュウリの販売        http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1659/

東日本大震災 支援③ スローフードベルリンからのたより            日本食のチャリティービュッフェ                  http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/

東日本大震災 支援④ スローフード沖縄・奄美からのたより           福島原発の被災者など、15家族受け入れ                                        http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1744/

東日本大震災 支援⑤ 高円寺・被災地応援マルシェ(市場)           完売 続出!                           http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/05/1844/

東日本大震災 支援⑥ スローフード気仙沼への支援金              合計940,997円を、手渡す                                                             http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/05/1921/

補足説明:東北被災地取材DVDの上映              http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/07/2032/

スローフード福島からのたより 『福島の現状を語る会』開催http://www.slowfood-suginami.com/news/2011/08/2094/

東日本大震災 支援⑦ 2011年大晦日 私たちは、忘れません!!        歴史に刻まれた年から、新たな歩みへ                                                        http://www.slowfood-suginami.com/news/2011/12/2138/

東日本大震災 支援⑧ 宮城県・長面(ながつら)浦の焼きハゼ          仙台の雑煮に欠かせない 伝統食材が危機に                                   http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2012/01/2236/

東日本大震災 支援⑨ 気仙沼・冬                           スローフード気仙沼のみなさん、元気をありがとう……                          http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2012/01/2309/

スローフード秦野からのたより

投稿日 2012年02月02日

私たちが活動する神奈川県秦野市周辺は、明治時代に日本で初めて落花生が栽培された地域です。いまでは落花生の主な生産地は千葉県に移りましたが、かつて秦野では落花生を大豆の代わりに使った味噌が造られていました。私たちはその落花生味噌を復活させる活動を行っています。
1月29日、メンバーなど20人近くが集まり、昨年2月に仕込んだ落花生味噌の完成・試食会を開きました。一年間寝かせて熟成させた落花生味噌は、昔風なので少し塩辛いものの大豆の味噌にはない濃厚な味がします。この落花生味噌を使いディップやドレッシングなどのほか、市内菩提の「ラーメン福福」さんに味噌ラーメンを作っていただきました。
その食卓を囲んで、秦野の特産物や今年の味噌造りなどの話をするうちに、この落花生味噌で何か東日本大震災の被災地へのお手伝いができなか、という提案が出ました。そこで、私たちスローフード秦野は「ラーメン福福」さんとのコラボレーションでその落花生味噌ラーメンを販売していただき、売り上げの一部を被災地のコンビビウムの支援に使わせていただく事になりました。落花生味噌ラーメンは2月中旬から、「ラーメン福福」さんhttp://rp.gnavi.co.jp/5914554/で味わえます。(¥600円・落花生味噌がなくなったら終了します)

秦野の特産物・落花生をこれからもよろしくお願いします。

<落花生味噌のディップ>

○材料
落花生味噌、マヨネーズ、ピーナツバター(甘くない物)
○作り方
上記3つの食材を合わせ、泡立て器でかき混ぜながら酒(或いはブランデー)を少量加え、味を調える(砕いた落花生を加えても良い)

 

東日本大震災 支援⑨  気仙沼・冬

投稿日 2012年01月27日

<あの日>から10ヶ月経た気仙沼を、再び訪れました。そこで見たのは、5月に訪れたときと同じく、私たちの想像を超えた自然の力の凄ましさです。瓦礫の撤去が進む被災地域は広大な荒野となり、たとえそこに再び街が出現しても、以前の営みが刻まれるのは記憶のなかだけかもしれません。しかし、その荒野には自分たちの暮らしを取り戻すだけではなく、新たに作り出そうとする方たちの熱き想いがありました。

東日本大震災の津波が気仙沼市にもたらした瓦礫は、約137万トン(新幹線「のぞみ」約19,000本[編成]に相当)。その約32パーセントが、撤去されました(気仙沼市1月14日発表)。瓦礫に埋もれていた場所の多くは、いま更地に近い状態になっています(→写真右)。しかし、市内には仮設のプレハブ家屋以外新築建築は見当たらず、再建は進んでいません。被災した土地の乱開発を防ぐために実施された建築制限が解除された地域でも、都市計画が決定していないので新たな建物を建築しづらいのです。気仙沼湾に面する市街地の一部は、70センチ以上の地盤沈下で海水が引きません。湾のいちばん奥・鹿折地区では、津波で海から約800メートルも打ち上げられた『第18共感丸』(330t)が、市の計画で震災の記録モニュメントにするため解体されず残されています(↓写真下大)。

スローフード気仙沼のメンバー小野寺靖忠さんは、津波で自宅と市内で経営するコーヒーショップを2軒を失いました(←写真左)。カフェラテが美味しいと評判だった小野寺さんの『アンカーコーヒー』は、コーヒー豆にこだわり自家焙煎をしていました。仕事でアメリカ西海岸を訪れる機会が多かった小野寺さんは、「豊かさには、選択肢の多さも重要です。生まれ育った気仙沼に新たなライフスタイルを提案したかった」と、2005年シアトルスタイルのコーヒーショップを開店しました。そして、昨年の3月11日、店舗が増え5軒になった頃、漁港近くの本店と少し離れた支店を津波に飲み込まれました。しかし、小野寺さんは2ヶ月後店を立て直すファンドを立ち上げます。そして、昨年暮れの12月23日、市内・田中前4丁目の仮設店舗で店を再開したのです(↓写真下)。                  再開した『アンカーコーヒー』には、                                             <この地より再び船出する、乗組員と共に、気仙沼と共に、海と共に>                                    と記すポスターが張り出されていました。

スローフード気仙沼の理事長・菅原さん。「私たちは東日本大震災で被害を受けたから、気仙沼の復興を語っているのではありません。私たちはこの地域の復興を、スローフードジャパンが発足する前から掲げていました。スローフードの支部を作ったのは、その考え方にたまたまスローフードの理念が合っていたからです。だから、漁業と関わりの深い気仙沼を活性化させるために、2004年にイタリアで開かれた<スローフィッシュ>にも参加しました。震災後のいま訴えることも、いちばん重要なのはスローフードが理念とする『人間の復興』です。いま、何か新しいことを訴えているのではないのです。私たちが望むことに意味付けし、広めるのがスローフードの役割だと思います」(→写真右上は、菅原さんの事務所。1,2階が津波に流され、3階部分だけそのまま落ちた)

スローフード気仙沼はスローフードすぎなみTOKYOとは異なり、飲食業に携わる事業者の方たちが多い支部(コンビビウム)です。スローフードの<おいしい、きれい、ただしい>というスローガンは、生産者や消費者だけに向けられているのではありません。飲食業に関わるすべての人たちに、「食」の在り方を問いかけています。漁業と海産物加工の町気仙沼では、復興の入り口と出口にスローフードがある、と菅原さんは言います。

2012年1月のある夜、仮設店舗の居酒屋で、スローフード気仙沼のメンバーと酒を飲み交わしました。皆さんは気仙沼の現実と復興を明るく、たくましく、熱く語ります。そして、その熱き想いが、私たちが被災地に持つ思い込みや誤解、独善を吹き飛ばすのです。私たちは気仙沼のメンバーに、元気をたくさんいただきました。
 

昨年の3月14日、大震災の発生にともない、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックはスローフード気仙沼を支援する緊急アッピールを発表しました。                       → http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/                            そのアッピールに応えてくださった全国のコンビビウムやこのページの閲覧者の方々、とくに、チャリティイベントを開き支援金を送ってくださったスローフードベルリンの仲間に伝えます…。→ http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/

              スローフード気仙沼は、元気です!!

 

東日本大震災 支援⑧
宮城県・長面(ながつら)浦の焼きハゼ

投稿日 2012年01月20日

東日本大震災は、私たちの味覚にも痕跡を残します。
仙台の雑煮に欠かせない焼きハゼで、もっとも伝統的な長面(ながつら)浦の焼きハゼが消えてしまうかもしれません。
それぞれの地域で、数少ない生産者によって受け継がれてきた食材・食品を残す活動は、スローフードが提唱する重要なテーマのひとつです。

<長面浦の焼きハゼ>は、2005年ほかの8品目とともに日本で初めてスローフードの「味の箱船(ARK)」に選ばれました。「味の箱船」とは、このままでは消えてしまう伝統的な食品・食材を、世界的なガイドラインに沿ってリストアップするスローフードの国際的なプロジェクトです。焼きハゼは松島湾などでも作られていますが、<長面浦の焼きハゼ>には焼いた後に煙で燻す古い製法が残されていました。また、その製法を代々受け継いできた事が評価され、「味の箱船」にリストアップされたのです。

(←長面地区の子供たちが通った大川小学校で。ここで、74人の児童が犠牲になった)

 

長面浦は北上川の河口に接する海水が出入りする湖で、周囲8キロほど。牡蠣の養殖やハゼ漁が行われていました。その湖に面した長面地区は津波のために漁港も含めたすべてが失われ、満潮のときは地震による地盤沈下で、住宅地のほとんどが海水に浸されます。震災前、約500人が住んでいた長面では、69人が亡くなり25人がいまも行方不明です。焼きハゼを作っていた榊照子さん(68)のお父さんの遺体が見つかったのは、9月17日でした。

追波(おっぱ)川河川運動公園の仮設住宅で、照子さんは語ります。「被災後は、長面浦には行きたくありませんでした。でも、6月に避難所からここへ移り、7月に船が瓦礫の中から見つかったので、せめて漁網だけでも注文しようと思いました。父の遺体が見つかったのは、9月です。スローフード宮城の方は、震災直後から何回も訪ねてきて、焼きハゼ作りの再開に協力を申し出てくださいました。長面浦では、ほかの魚はほとんど獲れなくなったのに、ハゼだけは獲れるんです。それで、もういちど作ってみようと決めたのは11月頃です」 照子さんは、12月に50連約600匹の焼きハゼを作りました。              (↑写真上 左・榊照子さんの家があった周辺。 写真上 右・潮が満ちてくると海面になる、と言う。→写真右 上・運動公園の仮設住宅。写真右 下・左側が照子さん。右側はお母さん)

しかし、スローフード宮城とスローフード仙台のメンバーが壊れた車庫を利用して作った、ハゼを焼くための仮作業場はもうすぐ取り壊されます(↓写真下)。次の作業場は、場所さえまだ決まっていません。また、岸壁も全壊したため、ハゼ漁に使う船はかろうじて残った堤防の片隅に係留されています(←写真左)。<長面浦の焼きハゼ>作りは、この冬なんとか再開できたものの、来シーズンの見通しは立っていないのが実情です。スローフード宮城とスローフード仙台では、<長面浦の焼きハゼ>復活募金を、下記のように行っています。

①募金額 / 一口¥3,000円(少額でも、何口でも結構です)
②振込先 / 杜の都信用金庫 本店営業部
口座名義: スローフード宮城
口座番号: 普通預金 1581336

 

<長面浦の焼きハゼ>がリストアップされている「味の箱船」は、スローフードが考える生物多様性につながっています。スローフードが考える生物多様性は、科学的な意味での多様性だけではなく文化としての多様性です。そして、味覚は文化の多様性を語る要素のひとつです。       <おいしい・きれい・ただしい>を掲げるスローフードの原点は、そこにあります。                <長面浦の焼きハゼ>が姿を消すとき、それは何を意味するのでしょうか……。 

 (↓かつての長面地区)

 

東日本大震災 支援⑦ 2011年大晦日
私たちは、忘れません!!

投稿日 2011年12月31日

(ページの更新が、本年8月以降止まっていたことをお詫びします)

今年、2011年は日本の歴史に深く刻まれた年でした。
歴史だけではなく、東日本大震災の被災者の方々をはじめ、多くの人々の心に深く刻まれた年でした。
私たちはそのなかから歩み始めます。

東日本大震災は、三つの顔を持っていました。ひとつは、巨大な地震・津波が生んだ自然災害の顔。二つめは、原子力発電所を設置した国の政策が生んだ人為的災害の顔。そして、三つめはそれらの災害により、私たちの生き方を問う顔です。二つの災害が私たちに教えたさまざまなことは、これからの日本の在り方を考えさせます。新たな社会を考えるうえで、スローフードが掲げる「食」の“おいしい・きれい・ただしい”という理念は欠かせません。そこには、生きる楽しさ、喜び、確かさが語られているからです。

スローフードの国内組織・スローフードジャパンには、日本内外から約127万円の支援金が寄せられました。これに国際本部からの負担金の免除(約165万円)を加えた300万円あまりの使い方が正式に決められたのは、震災から9ヶ月以上たった今月(12月)でした。支援金は、被災地のコンビビウム(支部)に分配され、また被災会員の会費免除に使われます。しかし、スローフードジャパン独自の被災支援プロジェクトや復興プランは、現在まで打ち出されていません。スローフードの活動は各コンビビウムによって支えられていますが、いまこそ国内組織としての、そして私たちの会費の約半額が納入されるスローフードジャパンが、リーダーシップを発揮するときです。被災地日本のスローフードが、世界のメンバーに向けて震災からの復興を宣言する日は来るのでしょうか?

私たちスローフードすぎなみTOKYOを含むスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックは、東日本大大震災に際し「顔が見える相手を直接支援」するために、いち早くスローフード気仙沼の支援を決めました。そして、5月3日、全国各地のコンビビウム、スローフードベルリンなどから寄せられた約94万円の支援金を現地気仙沼で手渡しました。さらに、スローフードすぎなみTOKYOはおもに原発災害の影響を受ける生産者を支援するために、高円寺あずま通り商店街の協力により「被災地復興マルシェ」を4月と11月に開催し、それらの活動を記録した短編ドキュメンタリー映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』を製作しました。この作品は、6月にモロッコで開催されたスローフードインターナショナル国際理事会で、10月には山形国際ドキュメンタリー映画祭2011(写真左下)でそれぞれ上映され、来年(2012年)は映画を自主上映をする市民団体の被災支援プロジェクトとして全国各地で上映される予定です。

私たちは、被災地の支援とともに、これまでの活動も続けています。4・5・6・10・11・12月の第3土曜日には、高円寺の劇場「座・高円寺」のエントランス広場で「座の市」を開催しました。また、6月11日に行われた「親子で知ろう! ほんとうの味」はパエリアを取り上げ、13回目を迎えました。これは、毎年杉並区立第4小学校で行われている味覚教育で、スローフードすぎなみTOKYOの活動の中心のひとつです。さらに、この味覚教育の拡大版として6月25日、住民の過半数を外国人が占める新宿区大久保で、そこに住む外国人親子に日本語を教えるボランティアの方々と一緒に、日本の「食」を伝えるために<「課外授業・おにぎり弁当作り」>を行いました。私たちのメンバーに生産者の方は一人しかいません。しかし、私たちはともすればスローフードの理念とは正反対の場所だと考えられがちな都会の片隅で、地域に密着したスローフードの運動をしています。これらの活動は、来年も継続して行う予定です。(写真右上:「座の市」 写真右中:杉並第4小学校の「親子で見つけよう! ほんとうの味」 写真右下:「親子日本語教室・課外授業」おにぎり弁当作り)  

12月3日、スローフード長崎は「テッラ・マードレ in 雲仙」を長崎県雲仙市で開きました。来場者は、約1,000人。会場にスローフードが全国からリストアップした「味の箱船」(少生産者による伝統的な産物)の食材・食品が展示され、生産者や産地の小学生たちの発表・討論などが行われたました。テッラ・マードレとは、直訳すると「母なる大地」を意味する生産者の会議で、これからのスローフード運動の中心となる催しです。スローフードはいま、農業と真摯に向き合うすべての生産者に寄り添おうとしています。テッラ・マードレ in 雲仙では、日本のスローフード運動の再生へ向けて、生物多様性を踏まえで生産システムの転換を訴えるメッセージが、参加者によって宣言されました。→「にぎわいのある社会の実現を目指して」

来年(2012年)、スローフードは大きな転換期を迎えます。スローフード運動の創始者で、25年にわたって活動を牽引してきたカルロ・ペトリーニ会長が引退するのです。25年前、イタリアの小さな村ブラから始まったスローフード運動は、その創始者の引退によりこれまで築かれてきた人的パイプが変わり、各国の国内組織は今後独自の運動の展開を求められるでしょう。そのとき、私たちは日本のスローフード運動の目標として具体的に何を語れるのか・・・、日本のスローフードはその真価が問われます。

スローフードは、私たちの言葉です。 

12月18日、原発災害の被災地福島を訪れると、スローフード福島のメンバーが農地の放射能除染を試みるため、ときおり小雪が舞うなかで、孟宗竹を砕き「竹粉」を作っていました。

私たちは、被災地のコンビビウムの方々と共に歩みます。

 

スローフード福島からのたより

投稿日 2011年08月05日

 

スローフード福島は、8月27日(土曜日)、二本松市近郊で、下記のように<福島の現状を語る会>を開きます。
皆さんお誘い合わせのうえ、ご参加ください。

 
ご承知の通り、現在、福島の農業・経済は、原発被災により重大な被害を被っています。
この会は、スローフード福島のメンバーが集まり、<愛しいふるさと「福島」>を守る活動を考えよう、というものです。
そして、福島だけではなく他のコンビビウムのスローフードメンバーにも、自由に参加していただきたい、と思います。
スローフード福島のメンバーは、とにかく福島を訪れてほしい、原発被災に喘ぐ自分たちの声を聞いてほしい、と切に望んでいます。
皆さん、お誘い合わせのうえ、是非ご参加ください。
 

 日時:2011年8月27日(土曜日)

 会場:フォレストパークあだたらhttp://fpadatara.com/

*車以外の方は、12時10分、JR東北本線(在来線)本宮駅集合。

    本宮駅へは、東京駅10時08分発
                  ↓東北新幹線 つばさ243号
               郡山駅着11時30分
                                 郡山駅発11時56分
                                                     ↓東北本線 
                                      本宮駅着12時09分
                                      (本宮駅着12時55分にも対応)
 

 内容
14時 講演会
生産者によるパネルディスカッション
意見交換会
18時 懇親会

懇親会:会員4000円(一般4500円)(宿泊される方は+5000円)

 申込先:スローフード福島事務局
slowfood@ninki.co.jp
TEL:0243-23-2091
FAX:0243-23-2098 

締め切り:8月15日 

追記:

『福島の現状を語る会』には、スローフードすぎなみTOKYOから5名参加し、スローフード福島の生産者の方から話を聞きました。無農薬・有機で野菜を栽培していた会長の須藤陽子さんは、食の安全性にこだわるからこそ放射能汚染の恐れがある野菜は作れない、と言います。事務局長・「人気一酒造」の遊佐勇人さんは、地震の影響で酒蔵を移転せざるをえませんでした。メンバーの大半を福島県内陸部、通称「中通り」の方たちが占めるスローフード福島では原発から避難しなければならなかった人はいませんが、放射線の線量計を常に携帯している人もいます。滞留する放射能・生産の中止・価格の下落など、福島県の原発災害は甚大です。私たちはスローフードとして何ができるのか、大きな課題を突きつけられました。

7/30(土)スローフードのあつまりに佐藤栄佐久前福島県知事と須藤陽子さん参加

投稿日 2011年07月24日

スローフードジャパン理事会に合わせ、全国の理事が集結します。

18時からは懇親会「あつまり」を開催。

スローフードに関心のある方ならどなたでも参加できます。

 「あつまり」では、佐藤栄佐久前福島県知事のミニ講演会を準備しています。

佐藤栄佐久さんは県民の安全を優先して原発推進に待ったをかけた知事として有名でしたが、福島を愛し、福島の食についても造詣が深い方です。http://eisaku-sato.jp/blg/

また、スローフード福島リーダーの須藤陽子さんが、福島から参加されます。http://youkosudou.blog.ocn.ne.jp/

(福島市内のすどう農園・須藤陽子さんと連絡取れました~原発被害と生産農家(3/19)http://ameblo.jp/toshi-shun/entry-10834631338.html)

 無農薬・無化学肥料で畑づくりをされてきたのに、こんなことで畑を使えなくなってしまった無念さはいかばかりか、と思います。

 現地の話を聞きながら、スローフードとして何ができるのかを皆で検討したいと思います。

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 ■スローフードの「あつまり」

 日時:2011年7月30日(土) 18:00~20:30

 場所:水道橋グランドホテル(東京都文京区本郷1-33-2 03-3816-2101)

   http://www.hatago.co.jp/access.htm

 料金:料理はビュッフェ、飲み放題付 おひとり様 5,500円(予定)

定員:先着50名(7/27締め切り)

申し込み:info@slow.or.jp または、山本(070-5407-0141)まで

 (以下、福島が地元の石田さんによる、佐藤栄佐久氏についてのコメント)

…………

私はジャコモと一緒に郡山まで会いに行ったことがあります。福島の産品に非常に詳しく、ご自身でもよく研究されていました。

相馬に残っていた浅草海苔のリサーチや、消えかかっていた福島の天津桃を公園に植えさせたり、皇族が愛した福島のまくわうりを農家を巡って探したり、福島の地域種ではなくとも、かつて親しまれていた福島の味を探求されていました。(石田雅芳)

東日本大震災 支援⑥
スローフード気仙沼への支援金

投稿日 2011年05月05日

5月3日、スローフードジャパン副会長の佐々木俊弥さん(スローフードすぎなみTOKYO代表)は、宮城県気仙沼市を訪れ、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが募ったスローフード気仙沼への支援金を、理事長の菅原昭彦さんに直接手渡しました。

この支援金は<顔が見える相手に、直接支援>を訴え、震災直後の3月14日にスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが呼びかけたものです。
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/

その結果、5月2日までに、全国各地のスローフードメンバーやその知り合い、このwebサイトの閲覧者、スローフードすぎなみTOKYOと交流があるスローフードベルリン、東京・新宿の居酒屋「あいうえお」などから合計940,997円が寄せられました。また、4月13日に日本料理のチャリティー・ビュッフェを開いたスローフードベルリンからは、参加者がスローフード気仙沼のメンバーにメーセージを書き込んだノートも届きました。左の写真は、そのノートに見入る菅原さんです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/
菅原さんのご家族は全員無事でしたが、スローフード気仙沼のメンバーの方が1人亡くなりました。また、菅原さんが営む男山本店という日本酒の酒蔵では、数人の方が亡くなり、家を失った社員も何人かいます。「ここ気仙沼では、生きている人が100人いると、300のドラマがあるんです」と、菅原さん。

菅原さんはこう語ります。「漁業の町・気仙沼では、漁業生産者への直接的な支援は難しいでしょう。今後求められるのは、つながりを絶やさない継続的な支援です。今回の震災は、地域社会を大きく変えます。スローフードにできることは、その変化のなかで、この土地で培われたきた伝統や漁村文化を継承してゆくことです。私の友人は、『いままで、おれたちは海から色々な恵みを受けてきた。今回の津波で、おれたちはそれをいったん海に返したんだ』と、言っています」
5月4日午後4時現在、気仙沼市で死亡が確認された人は913人。行方不明者663人。全壊した家8,383戸。半壊した家1,861戸。人口約73,000人のうち4,930人が、市内51の施設で避難生活を送っています(宮城県調べ)。

市内中心部の、巨大な力で引き裂かれた人間の暮らしを見て、佐々木さんに同行したスローフードすぎなみTOKYOのメンバーは、ただ立ち尽くすだけでした。

しかし、復興の歩みはすでに始まり、菅原さんはその一端を担っています。港に面していた男山本店の事務所は昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されていました。事務所は、1・2階部分が消滅。3階がそのまま地上に落ちてしまいました(写真下)。地盤沈下のため、満潮時には前の道路が冠水します。酒蔵にも、門の数メートル手前まで海水が押し寄せましたが、幸いにも津波の被害は免れました。そして、昨年11月に仕込んだタンク2本が無傷で、なかから「もろみ」が呼吸する音が聞こえたそうです。復興を望む被災者の声に押された菅原さんは、その「もろみ」で新酒造りを決意し、3月28日に銘酒「蒼天伝(そうてんでん)」を絞り終えました。菅原さんの新酒造りはテレビで伝えられ、報道された新聞や雑誌の記事や、励ましのメールが新たな事務所に貼られています。

           ↑ 震災を乗り超えて生まれた、気仙沼・男山本店の「蒼天伝」

東日本大震災 支援⑤
高円寺・被災地応援マルシェ(市場)

投稿日 2011年05月04日

スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日/5月1日の二日間、
福島原発災害の風評被害に遭っている生産者の方たちを支援するため、
<被災地応援マルシェ(市場)>を、JR高円寺駅南口広場で開きました。

このイベントのきっかけとなったのは、昨年、宮崎県で広がった口蹄疫への支援イベントを、スローフードすぎなみTOKYOと一緒に行った大学生グループの一人、神野政史(東京農大3年)さんの想いです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2010/07/790/

 

実家が、福島第一原発から避難を強いられる計画的避難地域・川俣町の一部にある神野さんは、放射能汚染の風評被害を受けている多くの地域の生産者に、何かアクションを起こせないか、と思いました。その想いに応え、スローフードすぎなみは4月30日/5月1日に開かれる<第3回高円寺びっくり大道芸2011>で、風評被害を受けている地域の方たちに、生産物を販売する場を、自分たちの力でささやかながら作ろう、と考えたのです。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応えてくださったのは、スローフード福島、スローフード茨城(写真右上・サブリーダーの中川純一さん)、農家の若い世代の就農を目指すレストラン・東京/六本木の「六本木農園」(写真右下・弥生一葉さん)、福島県の「JAしらかわ」など。

スローフードすぎなみは、前回の「座の市」に引き続き、スローフード福島メンバーである斉藤保行さんのキュウリ、同じく福島のメンバーである人気酒造の日本酒・リキュール・「食べる酒粕」などを販売し、スローフード茨城は、レタスなどの生鮮野菜のほかに、小鯛やカレイなどの魚介類も持ち込みました。また、六本木農園の生産者グループは、鈴木農園の「ジャンボなめこ」、内山さんのサツマイモ、堀米農園のウド、田中さんのnippa米、若手生産者グループ「農援隊」のコメ・アスパラなどを網羅。JAしらかわは、コメ・餅・イチゴ・野菜などを売りました。

今回、販売の中心になったのは、スローフードすぎなみのメンバーや、その知人・友人の女性たちです。彼女たちが担当する斉藤さんのキュウリ、人気酒造の日本酒などは次々に完売し、日本酒は追加注文を出しました。手伝ってくださった女性のなかに、実家と田が津波で被災し、さらに福島第一原発の警戒区域に指定され、故郷に立ち入ることができない浪江町の方もいらっしゃいました。                                          「風評」は姿や顔・形が見えない場所から、想像力で生まれます。2日間、呼びかけ、売り続けた女性たちのエネルギーは、その被害を風のように吹き飛ばしたのかもしれません。         そして、浪江町の方にいただいた、津波に侵される前に穫れた「最後の玄米」の味わいに、言葉を失ってしまいました・・・・・・。

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援④
スローフード沖縄・奄美からのたより

投稿日 2011年04月22日

 

4月20日、スローフード沖縄・奄美が主宰するNPO法人「食の風」は、             震災被災者を支援する『沖縄でニッポンを復興させる会』を設立し、       沖縄本島・中部の宜野座村(ぎのざそん)に、                           福島第一原発事故の被害者など15家族受け入ることを発表しました。

この日、スローフード沖縄・奄美会長の田崎聡さんは、設立5団体の代表者とともに、沖縄県庁で記者会見を開催。会の設立と、宜野座村(ぎのざそん)による15家族受け入れが、新聞各社・テレビ各局で報道されました。→  Okinawa Zinoza 01 4月9日正午現在、沖縄在住の震災避難者は887人(朝日新聞調べ)。しかし、その多くは沖縄出身者や個人的な関係による避難で、自治体と民間団体が行う組織的な受け入れは、沖縄県では初めてです。避難者の住居費は、1年間無料(光熱費別)、那覇への航空運賃も無料(暫定5月末まで)。受け入れ農家での農作業のほか、休耕農地での耕作が可能です。

受け入れ先となる宜野座村は、那覇空港から沖縄自動車道経由で約1時間半。人口約5,500人の沖縄本島中部に位置する村です。阪神タイガーズのキャンプ地として知られ、また、漢那ダムをはじめ5つのダムがある沖縄の水瓶です。昨年3月、「有機の里」宣言をした宜野座村は、環境保全型農業を地域ぐるみで目指しています。したがって、環境保全型農業を目指す方たちにとって、うれしい場所です。

宜野座村エコ野菜研究会の志良堂貢さん(写真下・左)は、10年前から化学肥料を一切使わず独自の肥料を開発し、無農薬で野菜を栽培するために、在来種のクモやカエルを使って害虫の駆除をしています。「宜野座で、マッチョンドー(宜野座で、待ってるよ)」と、志良堂さん。また、3年前に農業研修で宜野座村に来た菅野里志さん(写真下・右)は、福島県出身。研修終了後、宜野座村に移住してイチゴなどを栽培しています。菅野さんは、JAの支援体制や行政のバックアップがしっかりしていて、移住を決意したそうです。スローフード沖縄・奄美の田崎さんは、「被災地と沖縄との交流を通して、第一次産業から復興につなげてゆきたい」と、語ります。

 

 

                       (↑ 宜野座村を描いた絵)

↓ 『沖縄でニッポンを復興させる会』(設立趣意書)                              Okinawa Ginoza 03 

               

また、4月17日、那覇市久茂地のフレンチ・レストラン「メゾン・ド・フジイ」は、震災復興へ向けたチャリティー・ディナーを開き、売り上げを、スローフード沖縄・奄美を通してスローフード気仙沼の支援に寄付してくださいました。

 

追記:

この発表のあと、5月6日から10日まで、スローフード沖縄/奄美の田崎会長は原発からの避難所を訪れました。福島県双葉町の方たちが避難していた埼玉県加須市、おもに大熊町の方たちが避難していた福島県会津若松市、おもに富岡町と川内村の方たちが避難していた郡山市で、田崎会長はそれぞれの行政担当者へ被災家族の受け入れを説明しました。また、地元テレビ局や新聞などの取材も受け、原発災害に対するスローフードの対応のひとつを地域のメディアに示したのです。申込期限の5月末までに正式に移住を決めた家族はありませんでしたが、この受け入れ計画はいま「宜野座エコビレッジ構想」として発展し、継承されています。(→ginoza_120111

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援③
スローフードベルリンからのたより

投稿日 2011年04月17日

 

4月13日、ドイツ・スローフードベルリンの料理研究グループは、         スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが「緊急アッピール」で訴えた<顔が見える相手への支援>に応え、                                           スローフード気仙沼を支援するため、                                日本料理のチャリティー・ビュッフェを開きました。

(参照:緊急アッピール→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/

 ( ↑ 日本の被災状況を説明する、河野章子さん)

午後7時から、ベルリン中央駅のレストラン“ディークマンズ・アウスターンバー”で開かれた日本食のビュッフェには、約60人が集まりました。このイベントを呼びかけたのは、スローフードベルリンのメンバー河野直登・章子夫妻。日本料理の料理人の直登さんと料理研究家の章子さんは、20年以上ベルリンに住んでいます。そして、その二人を、スローフードベルリンのメンバーがサポートしました。

二人が中心になって作ったのは、かけ蕎麦(右上)、マグロのぬたソースかけ(右中)、わかめサラダ(右下)、うら巻き寿司(左下・上)、エビの春雨揚げ(左下・下)など、13種類の日本料理。河野さんたちスローフードベルリンのメンバーは、ほぼ毎月一回集まり、テーマを決めて料理を作っています。そのため、チームワークは抜群だそうです。日本のビュッフェ・パーティの味わいが、河野さん夫妻とベルリンのメンバーの手により、次々にベルリンで再現されました。

このチャリティー・ビュッフェで、集められたスローフード気仙沼への義援金は、約5000ユーロ(約55万円)です。また、参加者は、気仙沼の人たちへのメッセージを、ノートに書き込みました。これらのお金とノートは、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが集めた義援金とともに、スローフード気仙沼の菅原理事長に直接手渡されます。被災者の方たちへの絆は、河野さんやスローフードベルリンの仲間たちから、日本のスローフードという<輪>を通して、気仙沼へつながってゆきます。

河野さんからのメッセージ             「今のベルリンの代表者、イエーガーさんも、これまでスローフードドイツにおいて、このように素晴らしいチャリティーは初めてだ、と感銘していました。これも、私の友達がみんなで協力をしてくれたおかげです。これを通じて、デモに参加をしたり、おいしい食べ物を探したりするだけではなく、募金をしたり、人と人とのつながりを作るスローフードに発展していってくれれば、私はうれしいです。

イエーガーさんいわく、新たな第一歩、です。私は外国人ですが、皆さんにとても良くして頂き、みんなの中に溶け込んでいます。人は外見、職業、年齢、出身、性別、個性を全く関係なしに、ひとつのもので結ばれるものです。

私は本当はくよくよ悩む性格なので、自分で前向きに、そしてポジティブな考えで物事をすることにしています。日本の被災者の方も、ご苦労がたくさんありますが、自分で自分を苦しめず、良い方向に向かって歩いて欲しいです。                            河野章子」

 

                                                                                                  Photo by Ulrich Greiner

Spender Name (募金をした人の名簿)

Shoko Kono / Naoto Kono / Henner Senf / Anke Lüdeling / Thomas Marek /Ulrich Greiner / Eckhard Kröger / Simone Zorr / Christian Zorr / Mario Gaideck / Silvia Gaideck / Bernd Schoppe / Jürgen Eifler / Michael Geier / Uwe Schmelter / Susanne Metz / Gabriele Hauptvogel / Reinhardt Knoop / Solitaire Hotel / Ulrich Rosenbaum / Rudolf Enste / Volkmar Dittberner / Jörg Kleuver / Stephan Thome / Thomas Nagel / Annette-Susanne Voigt / Klaus Stamner / Annette Sand-Greiner / Christina Greiner / Ulrike Rösler / Stefan Altekamp / Heidrun Wangnick / Siegfried Wangnick / Daniela Gogel-Schasler / Stefan Abtmeyer / Barbara Fischer / Alexandras Jussios / Giesela Scholtyssek / Wolfgang Scholtyssek / Lars Jäger / Joachim Sawitzki / Katrin Giersig / Junko Salzmann-Kawashima / Wolfgang Gandeck / Heike Wolf / Kai-Uwe Wolf / Horst Meier/ReinhardBarnsdorf

↓ Slow Food Berlin のこれまでの活動                             http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2011/02/1286/         http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2010/10/1142/       http://www.slowfood-suginami.com/overseas/2010/08/947/

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援②
チャリティー in 「座の市」

投稿日 2011年04月17日

4月16日、放射能汚染の風評被害を受ける福島県産のキュウリを、        スローフードすぎなみTOKYOは、劇場「座・高円寺」と共催して開く「座の市」で、販売しました。

販売したのは、スローフード福島のメンバー・斉藤保行さんがハウス栽培したキュウリです。斉藤さんのキュウリは、蕎麦カスなどを中心とした肥料や、昆布粉・トウモロコシの油カスなどを使った高級品。おもに、東京の有名デパートなどで売られていました。ところが、福島第一原発の事故により、福島県の農産物に放射能汚染の風評が広まりました。斉藤さんのキュウリは、「無添加食品販売協同組合安全センター」の調査で、安全面で問題がない、との結果が出ているにもかかわらず、販路を失いました。そこで、スローフード福島が支援を呼びかけたのです。

特定の商品などを買わず、社会的な抗議や主張を表す不買運動(ボイコット)は古くから知られています。しかし、最近、それとは発想を逆にした、フェアトレードなど、特定の商品を買って生産者やコミュニティーを支えるバイコット(BUYCOTT)の運動が盛んになっています。「味の箱舟」「プレシディオ」にみられるように、このバイコットは、スローフード運動を支える考え方のひとつです。二箱送られてきた斉藤さんのキュウリは、すぐに売り切れてしまいました。

「座の市」は、スローフードすぎなみTOKYOが、杉並区立の劇場「座・高円寺」や地元の商店街などと、昨年9月から始めた定期市場です。毎月一回、第3土曜日に「座・高円寺」のエントランス広場で開かれます。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応じ、スローフード福島・スローフード長崎・スローフード秦野が、出品しています。スローフード秦野からは、毎回、パン工房「レ・ルルド」の神保さんが来てくださり、早くも「座の市」の名物になりつつあります。また、スローフード長崎がいつも出品する「エタリの塩辛」(写真上・右)は、日本で初めて「味の箱舟」(アルカ)に登録された食品のひとつ。その「味の箱舟」を東京で買える場所が、この「座の市」です。また、今回スローフード福島は、斉藤さんのキュウリのほかに、「人気酒造」の<食べる酒粕><手造り味噌>(写真上・左)などを出品しました。遠方のコンビビウムからの出品は、スローフードすぎなみTOKYOが、委託販売をしています。

高円寺「座の市」は、杉並第4小学校の「味覚教育」とともに、スローフードすぎなみTOKYOの活動を支えるプロジェクトのひとつです。

なお、スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日~5月1日に開かれる「高円寺びっくり大道芸2011」の復興支援チャリティーマーケットで、スローフード福島・スローフード茨城の協力を得て、風評被害に遭っている農産物を販売する予定です。

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援①
スローフード秦野からのたより

投稿日 2011年04月17日

スローフード秦野のメンバー「石(いし)庄庵」の主人・石井貞男さんは、         4月6日、福島市内の避難所・福島商業高校で蕎麦を打ち、              被災者や支援者の方たちに提供しました。

石井さんと<石庄そばの会>の人たち12人が秦野を出発したのは、前日の午後9時。6日の午前3時半頃、東北自動車道最寄りのインターで仮眠し、午前8時頃、福島原発半径20キロメートルの住民約120名が避難していた福島商業高校の体育館に着きました。福島商業高校の避難所を選んだのは、「石庄庵」のお客さんに、福島商業OB会の方がいらっしゃって、学校と連絡を取ってくださったからだそうです。蕎麦粉25kg、70リットルの寸胴鍋数個、水、プロパンガスなど、蕎麦を作るために必要な材料・機材・調理器具は、すべて秦野から運びました。

石井さんは、昼食に合わせて200食の蕎麦を打ち、被災者の方たちだけではなく、警察・ボランティア・学校の教職員など、支援に当たっている方たち全員に、蕎麦を食べていただきました。また、同行した会員に整体師の方がいて、被災者の方たちの身体をほぐしたそうです。

「最初は遠巻きにしていた子供たちが、途中から体に触ってくるようになりました。大人たちは次の避難場所を選ぶのに忙しく(福島商業の避難所は、学校の授業が始まるために8日に閉鎖されました)、子供たちに相当ストレスがたまっているようでした」と、石井さん。石井さんは、避難所の人たちが、カップラーメンを食べているテレビの映像を見て、<自分にできること>を考えました。「それは、これからも自分が蕎麦屋をやってゆくために、必要なことでもあったのです」

美味しい料理は、食べる人に元気と希望を与えます。                           それは、スローフードの理念のひとつです。

福島県産の「きゅうり」はいかがですか?

投稿日 2011年04月13日

スローフード福島事務局長の遊佐さん(人気酒造)からの呼びかけを転載します。

ぜひ、風評被害で困っている農家を消費者から支援しましょう。

義捐金をお送りいただくのもとても貴重ですが、誇りをもって産品をつくっている人のモノを風評から守り、買い支えていくことが、また大きな支援になりますので。

4/16(土)開催の「座の市」でもきゅうりを販売いたします。

宜しくお願いいたします!

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今、福島では深刻な風評被害で困っている農家がたくさんあります。

まだ、今は季節柄多くの野菜がある時期ではありませんが、これから旬を迎えるきゅうり農家が大変です。市場に出しても通常の半値以下の取引になってしまいます。

福島では葉物野菜は出荷規制があり、その場合、保障があります。

ですが、きゅうりのように規制値に問題ないものは、風評被害でこのような状況になってしまうのです。

●スローフード福島会員の斎藤保行さんのきゅうり●

斎藤さんのきゅうりは、そばかすを中心に基本の施肥をして、昆布粉を入れ、トウモロコシの油粕でトッピングしたという高級胡瓜です。

人間も美味しいものを食べないと元気が出ませんが、野菜も美味しい食べ物を食べさせようと、がんばって作っています。

ですので、ヘタまで捨てずに食べられるのが特長です。

福島県持続性の高い農業生産方式導入計画認定証を胡瓜で最初に受けたのも斎藤さんです。

デパ地下でこの価格の倍以上で売られているのですが、今年は風評被害ですべてキャンセル。ということで、ぜひこの機会に福島の胡瓜を食べてみませんか?

気になる放射性物質は(ハウスですので問題ないのですが)無添加食品販売協同組合検査センターでの検査結果によると、セシウム134が11Bq/kg、セシウム137が検出せず、ヨウ素131が検出せず、でした。

セシウムは検出限界が10Bq/kgですので、ほとんど誤差のような数字ですので、安心して食べられます。

 

■価格 1箱50本 1,890円税込(5月1日より暖房費が安くなりますので1,785円になります)

■送料(1箱~3箱まで)北海道840円、北東北525円、南東北・関東420円、中部630円、関西735円、中国945円、四国1050円、九州1155円、沖縄1260円

■ご注文方法 直接、斎藤保行さんに、「スローフードの紹介で」とメール又はFAXでお願いします。

sai10@cocoa.ocn.ne.jp

TEL/FAX 024-535-3887

960-8201福島県福島市岡島字竹林23

■お支払い方法 商品といっしょに郵便局の振り込み用紙をお送りしますので、速やかにお振込ください。

スローフード・インターナショナルが、支援の募金を始めました                                           東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震)

投稿日 2011年03月18日

スローフード国際本部は、3月16日、Sloe web で、東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震)の被害を受けたスローフードジャパンを支援するために、募金を開始しました。

http://www.slowfood.com/donate/pagine/eng/progetti.lasso?-idp=045

以下、日本語訳です。(訳/掛川正幸)

日本の緊急事態

 日本の人々は、国土を襲った、最も大きく最も破壊的な国家的災害に直面している。リヒタースケールで8.9と表示される巨大な地震、続いて起きた波の高さが10メートルを超える破壊的な津波が、北東日本の全域を破壊した。数字は悲劇的だ。1万人近くの人が命を落とし、50万人が避難した。スローフードジャパンは、直接影響を受けた街を含め、全国的に多くのコンビビウムが活動し、ひとつのプレシディオ、25の「味の箱舟」を登録している。

スローフードジャパン副会長の石田雅芳は、地震の当日にメールを送ってきた。
「私たちは、犠牲者の情報や、巻き添えになった国内のスローフードネットワークの運命を、知りえません。しかし、この国家的な災害は、仙台のように、街やコミュニティー全体の生活に衝撃を与えます。津波によってさらに打撃を受けた仙台には、スローフードのオフィスがあります。現在、国内の北東地域のメンバーに連絡を取るのが非常に難しくなっています。しかし、私たちは気仙沼が巨大な波に襲われ、八戸ほかスローフードのコンビビウムがある市も、深刻な被害を受けている事を知ってます」

 また、石田は、引き続き起きた原子力発電所の不気味な脅威について語る。
「原子力発電所の中の爆発は、地震と余震で深刻な被害を受けた施設に、さらなる警戒を引き起こしました。新しい情報によれば、汚染は短・中期的な住民への健康被害だけではなく、荒廃と日本の食料生産に長期的な被害をもたらすかもしれません。地面の放射能は、何百年も残ります。農業は疲弊し、スローフードの「味の箱舟」のように質の高い生産物は、完全に消滅するでしょう」と、石田は断定する。

世界的なスローフード運動は、日本の協会に哀悼の意を表し、連帯の手を差し伸べる。この基金を通して、私たちは、日本のネットワークが復旧・再建に取り組む間、手助けをしたい。スローフードジャパンは、基金の設立が必要な最も深刻で差し迫った状況であることを、後に確認するだろう。

(*石田さんの言葉は、英文からの翻訳で、原文とは異なる場合があります)

また、スローフードジャパンも募金活動を開始しました。http://www.slowfoodjapan.net/blog/2011/03/17/1099/

日本の歴史に、忘れがたい記憶を刻んだ日から、今日で一週間たちます。家族や友人を失い、築き上げてきた生活を失った人たちに、心からお見舞い申し上げます。でも、けして、一人ではありません。いまは、ただ、元気を出して、頑張って下さい!と、しか言えませんが、こちらの動画をご覧ください。blog’11.03.16-movie  

カルロ・ペトリーニ会長からのメッセージ

投稿日 2011年03月16日

親愛なるコンヴィヴィウムリーダーと、テッラ・マードレ・コミュニティ、日本の友人たちへ

皆様を襲った劇的な災害を、大きな懸念とともに見守っているところです。
私たちが常に近くにいると思ってください。
世界のコンヴィヴィウム、テッラ・マードレのネットワーク、スローフード運動すべてが、いつも皆様と一緒にいることを覚えておいてください。皆様は誇り高い強い国民であり、復興する力を十分持っていることを私たちは知っています。
皆様を独りにしないようにしたいと思います。
いずれ私たちに何ができるかが分かったならば、私たちのネットワークを使って、団結して具体的な支援をできるようにしたいと思っています。
ですから安心していただければと思います。スローフードとテッラ・マードレの友人たちは、一つの民族のようなものです。
そこには国境もなければ障壁もありません。
兄弟たちが手を取り合って、助け合う準備ができています。

親愛の心を込めて

国際スローフード協会会長
カルロ・ペトリーニ(石田雅芳訳)

緊急アッピール!!                                      東日本大震災(東北関東大震災/東北地方太平洋沖地震)

投稿日 2011年03月14日

                                                                                            photo by asahi.com 

支援金の募集を始めます !!

すでにご存じのように、日本の歴史に未曾有の災害が刻まれました。

 被災者・犠牲者の方に、心からお見舞い申し上げます。

この「東日本大震災」(東北関東大震災/東北地方太平洋沖地震)の被災地には、スローフードジャパンに加盟する以下の6つのコンビビウムがあります。
私が、3月14日午後4時45分現在、把握している状況は以下です。
 

・SF八戸 →SFよこはまのメンバーがSF八戸のメンバーと電話で接触、SF八戸のメンバーは全員無事の模様。

 ・SF岩手 →mixi によれば、メンバーは全員無事の模様。

・SF気仙沼 →理事長と直接連絡が取れず(*留守番電話)。その後、無事の情報が入るが、本人には確認が取れず(3月15日午前9時30分現在)。その後、3月15日午後3時15分、友人の方が、本人が家族とともに無事であることを、関係者の方に再確認した、との情報が入りました。

・SF宮城 →前SFジャパン事務局長(仙台在住)と直接連絡が取れず(*留守番電話)。SF帯広のメンバーがSF宮城の事務局長と電話で接触、SF宮城のメンバーの安否は不明。その後、前ジャパン事務局長から mail あり。

・SF福島 →SFすぎなみとSF TokyoBayのメンバーが、事務局長と電話で接触。メンバーは全員無事の模様(私への mail )。

・SF茨城 →理事長と連絡が取れず。

 
以上のコンビビウムには、いずれも被災されたメンバーがいらっしゃるかもしれません。
しかし、現段階での状況と報道などの情報を合わせると、SF気仙沼のメンバーの方たちがもっとも多く被災されていると判断せざるをえません。
 
私たちは、励ましの言葉だけではなく、ささやかであっても、いま、自分たちに何ができるか? を考えました。
スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックは、参加コンビビウムの同意により、まず、SF気仙沼への支援金の募集を、下記の通り行います。
国や県・赤十字などの公的機関に寄付することにも意味はありますが、スローフードの理念から考えると、顔の見える相手に直接支援をすべきだと考えたからです。
SF気仙沼のメンバーとは、2月19日に八戸で開かれた全国大会でお会いしたばかりでした。
みなさん、ご協力お願いします。
 
今回の災害は、私たちの日々の暮らしが、自然の恵み=食べ物だけではなく、自然の<脅威>とともに営まれていることを、示しています。本来日本には、自然と共生する<知恵>がありました。その知恵こそ、スローフードの思想と結びつくものです。その知恵が、被災者の方たちの新たな暮らし作りに、役立って欲しいと思います。 
スローフードとは、私たちみんなの言葉です。
 
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 『がんばれ! SF気仙沼』 募金
 
①金額
 一口¥3,000円
 (少額でも、何口でも結構です)
 
②振り込み方法
   所属コンビビウム名・氏名に加え、「支援」と明記。
      ↓
 例: すぎなみ 山田太郎 支援
 
 
③振込先
セキュリティー上、下記までメールをください。
battex02@zap.att.ne.jp
 
元メンバーの方、メンバーのお知り合いの方でも結構です。
ご協力をお願いします。

 

↓2007年に気仙沼で開かれた、スローフードジャパン第4回大会と「スローフードフェスタ」。中央の写真が、SF気仙沼・菅原理事長

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みんな、元気だそう! 頑張ろう!

↓(ごめんなさい。埋め込み方がわからないので)

http://www.youtube.com/embed/IxUsgXCaVtc?rel=0

スローフードベルリンからのたより

投稿日 2011年02月28日

スローフードベルリンのメンバー、ベルリン在住の河野章子さんから便りが届きました。SFベルリンでは、毎月1回、テーマを決めて料理作りをしています。今回のテーマは「調味料と香り」で、2月23日に13人が集まって、ベルリン市内で開かれました。この料理作りは、ベルリン周辺の生産物などを使い、これまでも「レンズ豆」「キャベツ料理」「牛肉の食べ比べ」などを行ってきました。メンバーと会合で会ったり食事に行ったりするより、一緒に料理を作ることで、メンバー同士が本当に打ち解け合い、話し合えるようになるそうです。

家庭では、普段たくさんの香辛料を一度に味わうことが不可能なため、さまざま香辛料を使ったさまざまな料理が味わえて、メンバーは大満足だった、と、河野さんは伝えてくれました。

↑(左)焼いたヤギのチーズのカルダモン風味、オレンジの花から採取した蜂蜜添え。(右)キャベツのスープ、ピメントン風味、ショリツォサラミ(スペインの唐辛子味のサラミ)添え↑(左)レッドビーツ(赤蕪)の塩竃焼きの薄切り、生牡蠣ソース和え。(右)タラのタンドリーヨーグルト煮、レンズ豆添え

↑蒸し鶏山椒風味香味醤油かけ。(日本の山椒と中国の山椒の、製法の違いからくる味の違いを伝えました)↑(左)マカデミアンナッツ入り羊の肉団子、ヒヨコ豆のカレーソース和え。(右)パイナップルのタスマニアペッパーとラム入りカラメル和え、塩と胡椒のブラウニー(チョコレートケーキ)添え

スローフードベルリンの仲間たちは、来年、日本にやってくる予定です。

Photo by Ulrich Greiner

速報 !! 八戸大会

投稿日 2011年02月21日

先週2月19日、青森県八戸市でスローフードジャパン第10回全国会議(NPO法人第4回)が開かれました。
参加者は、約120人(事務局発表)。おもに以下の事項が承認されました。
 
新会長→SFあいち/後藤事務局長
  新副会長→SFすぎなみ/佐々木代表、SF秋田/石田会長、SF栃木/笠原事務局長
      新監事→SF気仙沼/菅原会長、SF茨城/中川事務局長
      新事務局長→SF帯広/山本事務局長
 
②2011年度予算のおもな支出先(*敬称略)
・第1事務局→北海道 SFフレンズ帯広が担当
                業務→ニューズレター「ウン・セーメ」の発行ほか
・第2事務局→東京  SFすぎなみ/佐々木、SF秋田/石田(東京在住)が、個人として担当
                業務→理事会・「あつまり」、スローフードインタナショナル・マスコミ・ 
                    官庁・企業・収益事業対応など  
・第3事務局→未定
                                                業務→アルカ・プレシディオ、ネットショップの運営、生産者リストなど
・第4事務局→愛知 (*SFあいちが担当するのか、SFあいち/後藤が個人で担当するのか不明)
                業務→IT上の会員システムの構築、その他業務全般など
・国際本部への負担金
 
③インターネット上での会員システムの構築
 
*なお、現在宮城県仙台市にある事務局は、移行期間として最低限6ヶ月間は維持
 
総会に先立つ講演で、スローフードインターナショナル事務局長/パオロから以下の提案がありました。
A:スローフードジャパンとして日本でのテーマを決め、それに基ずくイベントの開催
B:インターナショナルが行う国際的なテーマとの連携
 
後藤新会長は、SFすぎなみの総会(2月6日開催)で報告したような経緯により、理事会から会長候補に選出され、総会で承認されました。
 
スローフードジャパン新体制の発足にともない、私たちはシステムの構築や運営の刷新だけではなく、もう一度スローフードの原点に戻る必要があります。

↑前夜祭で歌うSF八戸・河原木会長(おじょうずでした)

スローフードとは、「食」を通して社会を変え、人の生き方を考える国際的な市民運動です。そして、その運動は、それぞれの地域でのコンビビウムの活動によって、具体的に展開されています。いま、日本のスローフードには何ができるのか、日本で、地域を通してスローフードという考え方をどのように広めるのか、が問われています。

パオロ事務局の提案にもあったように、日本からアジアのスローフードを発信してゆかなければなりません。
昨年のテッラ・マードレを締めくくったペトリーニ会長の言葉は、「私たちには、夢見る力がある」だったそうです。
いま、私たちに必要なのは、夢を夢見ることではなく、ささやかではあってもスローフードの夢を形にし、実現してゆく力です。
スローフードの原点に立ち返り、新たな運動の展開を考えましょう。
 
なお、総会終了後、SF八戸主催による公式な交流会の場で、後藤新会長に東京・神奈川ブロックのメンバーへの、ビデオ映像によるメッセージをお願いしましたが、プライベート(プライバシー?)を理由に答えていただけませんでした。
そのときの様子は収録してありますが……。
↑八戸の郷土芸能「せんぶり」が開催中でした。

スローフードベルリンからの便り

投稿日 2010年10月12日

スロフードベルリンのメンバー河野章子さんから、便りが届きました。ベルリンは、日本最北の地、北海道の稚内(北緯45°20′)よりもずっと北の、北緯52°30′(日本付近で言えばサハリンの北部)にあります。でも、ぼくの印象では、冬は位置から想像するほど寒くはありません。札幌の冬の方が、ずっと寒いです。そんなベルリンにも、秋色は濃いようですね。

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ヤギのエコ農家を訪ねて

↑ヤギのチーズを、焼いたパンに載せたサラダ

10月10日の日曜日、私たちスローフードベルリンのメンバー20名は、約130キロ離れたヤギと乳牛のエコファームを訪ねました。ドイツでは料金さえ払えば、地下鉄やその他の電車の車内に自転車を持ち込める為、20名のうち15名は電車と自転車にて現地に集合しました。(ちなみに、自転車料金込みで、約100キロの往復運賃は一人あたま1200円くらいでした。)

↑クヌーデル(パンと卵の団子)

日本では、羊やヤギのミルクと肉はあまり食卓には並びませんが、ヨーロッパでは季節ごとに欠かせないものとなっています。日本人の私は、いまだに羊やヤギの独特の香りと味に馴染めませんが、ドイツ人がとてもおいしそうに食べているのを見て、食文化の違いをつくづく感じています。経営者とコックさんたちは、とても若く、また内面から湧き出てくるパワーとやさしさがありました。きっと自分たちの仕事を誇りに持って、楽しんでいられるのですね。

↑ヤギ肉の煮込み、クヌーデル添え

私が子供の頃、神戸の六甲の酪農園で絞りたてのヤギのミルクを飲んだ覚えがあります。あまりおいしいと感じませんでしたが、、、。

ドイツでは絞りたてのミルクをRohmilch(ローミルヒ、生牛乳)としてその場のみで売られ、その価値は誰もが知っています(火入れを

↑ヤギのミルクのアイスクリーム、2種の木の実ソース添え

していないミルクはすぐに悪くなるため)。あるジャーナリストによれば、そのミルクを布で覆い、窓のそばにつるして水分を濾すと、固形物が残り、それをバターかチーズのようにしてパンにつけて食べるのだそうです。ビタミンやミネラルがたくさん取れる食材なのです。

ヤギをなでた手が、ヤギの肉とチーズのにおいがしました。やはりいまだに馴染めません。

スローフード秦野からのお知らせ

投稿日 2010年09月15日

(山葵田/SF秦野提供)

私たちスローフードすぎなみTOKYOと連携する神奈川県のスローフード秦野から、秋ののイベントの知らせが届きました。10月3日、丹沢山系の里山に住む山口さんのお宅で、さまざまな催しが計画されています。秦野市へは新宿から小田急で約1時間45分ほどです。秋の一日を、東京近郊の里山ですごしてみたい方は、SF秦野にぜひご連絡を。

詳細はこちらから→SFHadano-TeaGarden

スローフードの市場を始めます      高円寺<座の市>開催

投稿日 2010年09月13日

スローフードすぎなみTOKYOは、高円寺あずま通り商店会、「座・高円寺」(杉並区立杉並芸術会館)と共催して、ささやかながら定期的なスローフードのマーケットを始めます。第1回目は、9月18日(土曜日)午前11時から。場所は高円寺の劇場「座・高円寺」の前の小広場(雨天の場合、劇場内ロビー)。今後、毎月第3土曜日に、その小広場で、地元の商店会や知り合いだけではなく、スローフードの全国のコンビビウム(支部)にも呼びかけて、スローフードの理念に添った食材・食品を販売してゆく計画です。

(↑写真は会場となる「座・高円寺」のエントランス)

今回、スローフード長崎から、スローフードの<味の箱船>(消滅の危機にある食材・食品>にリストアップされているエタリ(カタクチイワシ)の塩辛、雲仙コブ高菜の漬け物、スローフード福島からは、自家栽培の酒米「人気しずく」を使った「雪うさぎ純米吟醸」「夢うさぎ本格米焼酎」などが届きます。それ以外にも、選りすぐりの食材・食品がたくさん。皆さんお誘い合わせの上、ぜひご来場下さい。

スローフードベルリンからの便り

投稿日 2010年08月17日

数年前に、ドイツのベルリンで知り合った日本人女性がいました。スローフードベルリンのメンバー、河野章子さんです。河野さんは、ベルリン在住20年近くの料理研究家。去年7月、彼女がSFベルリンの仲間2人と日本へ来たとき、SFすぎなみは新宿でささやかな歓迎会を開きました。その河野さんから、便りが届きました。以下、抜粋です。

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先週末にベルリン郊外のコンビビウム、SFバルニム・オダーラント(Barnim-Oderland)http://www.slowfood.de/slow_food_vor_ort/barnim_oderland/(ベルリンから移ったローゼンハイムさんが代表)で、<農場のお祭り>がありました。ときどきやってくる激しい雨にもめげず、トラクターがパレードしたり、乗馬、絵画、コンサートなど色々な催し物で盛り上がりました。

場所を提供してくださった農場の持ち主は、ドイツでも有名なテレビの司会者ですが、そのご家族はとてもおおらかな性格の方々です。雨の中を裸足で駆け回り、参加者を元気づけたり、お客さんに振る舞ったり、とてんてこ舞いでした。まだまだ、自然のなかでは生きてゆけない私ですが、とても素晴らしい面を見させていただきました。できる限り応援したいです。

私も、自分のできる範囲のお手伝いをさせていただきました。子供たちと料理を作るスタンドを設け、私を含むコックはすべてボランティアで参加し、寄付された食材で料理を作り、できあがった料理は無料で訪問客にサービスしました。ささやかな寄付金も集め、総額は6万円ぐらいになりました。(今後、子供のための料理教室に使います)

お盆の最中で、仕事とは違う忙しい日々を過ごされているかと思いますが、お体にはご自愛を。また、再来年には、10人くらいのメンバーと日本へ行きますので、その時にはよろしくお願いいたします。    

                    

                  

                  

(左端が河野章子さん)→

写真を見ながら、<農家のお祭り>の雰囲気だけでも味わっていただければうれしいです。写真はこちらから→http://www.convivio.de/dorffest

内藤とうがらしを味わう  <スローフード江戸東京からのお知らせ>

投稿日 2010年08月17日

スローフード江戸東京は、8月28~29日新宿御苑で開かれるイベント<GTFグリーンチャレンジの集い2010>に参加します。SF江戸東京が進める<内藤とうがらしプロジェクト>をブース出展するほか、その内藤とうがらしを使った有名シェフの料理が味わえます。協力してくださるのは、中華の脇屋友嗣さん(Wakiya-笑美茶楼)、フレンチの坂井宏行さん(ラ・ロシェル)、イタリアンの落合努さん(ラ・ベットラ)、和食の田村隆さん(つきぢ田村)。これらのシェフの料理が一皿500円で試食できるのです。皆さんお誘い合わせの上おいでください。

日時:8月28日(日)・29日(日)am10:00~pm5:00
場所:新宿御苑イギリス式庭園
料金:新宿御苑の入場料(200円)+(試食)一皿500円

スローフード江戸東京の<内藤とうがらしプロジェクト>http://www.togarashinet.oishiimizu-taishikan.net/

スローフード沖縄・奄美からの便り

投稿日 2010年07月20日

スローフード沖縄・奄美が一昨年(’08年)に立ち上げた、NPO組織「食の風」の会報誌が発刊されました。この雑誌は大きさがA5版、値段は250円で書店の他に沖縄各地のコンビニ、「食の風」メンバーのお店にも置かれます。スローフードジャパンの会報誌はなくなってしまいましたが、この会報誌のような形態は参考になるのではないでしょうか? ぼくも最近、専門誌以外の雑誌は、書店ではなくコンビニで買うようになっています。ジャパンが新たな会報誌を企画するならば、従来の「形」での発行は実現しないでしょうし、先が見えています。印刷媒体の危機が叫ばれるなか、いま一番重要なのはメディア・リテラシーだと思います。

なお、「食の風」誌には、スローフードすぎなみTOKYOの味覚教育が紹介されているほか、生で食べられる沖縄伝統野菜、空心菜に似た「サラダエンサイ」の種が付録に付いています。

NPO「食の風」webサイトへはこちらから。http://www.shokunokaze.com/

スローフード秦野からのお知らせ

投稿日 2010年07月05日

ご挨拶

私たちスローフード協会のテーマであり、各国で実践していることの一つに「学校菜園の試み」があります。
これは スクールの校庭に菜園を作り、生徒も一緒に野菜を育て、収穫し、調理をして、みんなでテーブルを囲む。体験を通して「地元の旬を感謝しながら共に味わう幸せ」を子供たちに伝えていこうというものです。
世界の中でも食糧や水不足で給食も困難なアフリカでは、昨年、スローフード・ケニヤ支部が提案した≪学校菜園の試み≫が Ashoka(社会起業支援非営利組織)の農村コミュニティの改革として高く評価され、スローフード・ジャパンもこれを応援しました。

今年はアフリカ大陸初のワールドカップ開催の年ということもあり、アフリカが、いまクローズアップされています。
この機会に私たちも‘アフリカ’という大陸にもっと目を向けてみようと、 アフリカの音楽やトークライブ、青空マーケットなどのチャリティー・イベントを開催いたします。利益はスローフード・インターナショナルを通じて、アフリカの子供たちのための学校菜園の活動に役立てたいと思います。 秦野から吹く風に温かいご支援を賜りますようお願い申し上げます。

                                 スローフード秦野 代表 中川璃々

主催: スローフード協会 秦野支部                                      共催: 秦野市立図書館 秦野市立桜土手古墳展示                               後援:  ガーナ共和国大使館 ケニア共和国大使館 神奈川新聞社 秦野市観光協会 (社)秦野青年会議所 (株)タウンニュース社

協力:  スローフードジャパン東京・神奈川ブロック

詳しくは以下をご覧ください

SFhadano-africa

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