東日本大震災 支援⑦ 2011年大晦日
私たちは、忘れません!!
投稿日 2011年12月31日
(ページの更新が、本年8月以降止まっていたことをお詫びします)
今年、2011年は日本の歴史に深く刻まれた年でした。
歴史だけではなく、東日本大震災の被災者の方々をはじめ、多くの人々の心に深く刻まれた年でした。
私たちはそのなかから歩み始めます。
東日本大震災は、三つの顔を持っていました。ひとつは、巨大な地震・津波が生んだ自然災害の顔。二つめは、原子力発電所を設置した国の政策が生んだ人為的災害の顔。そして、三つめはそれらの災害により、私たちの生き方を問う顔です。二つの災害が私たちに教えたさまざまなことは、これからの日本の在り方を考えさせます。新たな社会を考えるうえで、スローフードが掲げる「食」の“おいしい・きれい・ただしい”という理念は欠かせません。そこには、生きる楽しさ、喜び、確かさが語られているからです。
スローフードの国内組織・スローフードジャパンには、日本内外から約127万円の支援金が寄せられました。これに国際本部からの負担金の免除(約165万円)を加えた300万円あまりの使い方が正式に決められたのは、震災から9ヶ月以上たった今月(12月)でした。支援金は、被災地のコンビビウム(支部)に分配され、また被災会員の会費免除に使われます。しかし、スローフードジャパン独自の被災支援プロジェクトや復興プランは、現在まで打ち出されていません。スローフードの活動は各コンビビウムによって支えられていますが、いまこそ国内組織としての、そして私たちの会費の約半額が納入されるスローフードジャパンが、リーダーシップを発揮するときです。被災地日本のスローフードが、世界のメンバーに向けて震災からの復興を宣言する日は来るのでしょうか?
私たちスローフードすぎなみTOKYOを含むスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックは、東日本大大震災に際し「顔が見える相手を直接支援」するために、いち早くスローフード気仙沼の支援を決めました。そして、5月3日、全国各地のコンビビウム、スローフードベルリンなどから寄せられた約94万円の支援金を現地気仙沼で手渡しました。さらに、スローフードすぎなみTOKYOはおもに原発災害の影響を受ける生産者を支援するために、高円寺あずま通り商店街の協力により「被災地復興マルシェ」を4月と11月に開催し、それらの活動を記録した短編ドキュメンタリー映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』を製作しました。この作品は、6月にモロッコで開催されたスローフードインターナショナル国際理事会で、10月には山形国際ドキュメンタリー映画祭2011(写真左下)でそれぞれ上映され、来年(2012年)は映画を自主上映をする市民団体の被災支援プロジェクトとして全国各地で上映される予定です。
私たちは、被災地の支援とともに、これまでの活動も続けています。4・5・6・10・11・12月の第3土曜日には、高円寺の劇場「座・高円寺」のエントランス広場で「座の市」を開催しました。また、6月11日に行われた「親子で知ろう! ほんとうの味」はパエリアを取り上げ、13回目を迎えました。これは、毎年杉並区立第4小学校で行われている味覚教育で、スローフードすぎなみTOKYOの活動の中心のひとつです。さらに、この味覚教育の拡大版として6月25日、住民の過半数を外国人が占める新宿区大久保で、そこに住む外国人親子に日本語を教えるボランティアの方々と一緒に、日本の「食」を伝えるために<「課外授業・おにぎり弁当作り」>を行いました。私たちのメンバーに生産者の方は一人しかいません。しかし、私たちはともすればスローフードの理念とは正反対の場所だと考えられがちな都会の片隅で、地域に密着したスローフードの運動をしています。これらの活動は、来年も継続して行う予定です。(写真右上:「座の市」 写真右中:杉並第4小学校の「親子で見つけよう! ほんとうの味」 写真右下:「親子日本語教室・課外授業」おにぎり弁当作り)
12月3日、スローフード長崎は「テッラ・マードレ in 雲仙」を長崎県雲仙市で開きました。来場者は、約1,000人。会場にスローフードが全国からリストアップした「味の箱船」(少生産者による伝統的な産物)の食材・食品が展示され、生産者や産地の小学生たちの発表・討論などが行われたました。テッラ・マードレとは、直訳すると「母なる大地」を意味する生産者の会議で、これからのスローフード運動の中心となる催しです。スローフードはいま、農業と真摯に向き合うすべての生産者に寄り添おうとしています。テッラ・マードレ in 雲仙では、日本のスローフード運動の再生へ向けて、生物多様性を踏まえで生産システムの転換を訴えるメッセージが、参加者によって宣言されました。→「にぎわいのある社会の実現を目指して」
来年(2012年)、スローフードは大きな転換期を迎えます。スローフード運動の創始者で、25年にわたって活動を牽引してきたカルロ・ペトリーニ会長が引退するのです。25年前、イタリアの小さな村ブラから始まったスローフード運動は、その創始者の引退によりこれまで築かれてきた人的パイプが変わり、各国の国内組織は今後独自の運動の展開を求められるでしょう。そのとき、私たちは日本のスローフード運動の目標として具体的に何を語れるのか・・・、日本のスローフードはその真価が問われます。
スローフードは、私たちの言葉です。
12月18日、原発災害の被災地福島を訪れると、スローフード福島のメンバーが農地の放射能除染を試みるため、ときおり小雪が舞うなかで、孟宗竹を砕き「竹粉」を作っていました。
私たちは、被災地のコンビビウムの方々と共に歩みます。
スローフード福島からのたより
投稿日 2011年08月05日
スローフード福島は、8月27日(土曜日)、二本松市近郊で、下記のように<福島の現状を語る会>を開きます。
皆さんお誘い合わせのうえ、ご参加ください。
日時:2011年8月27日(土曜日)
会場:フォレストパークあだたらhttp://fpadatara.com/
*車以外の方は、12時10分、JR東北本線(在来線)本宮駅集合。
内容:
14時 講演会
生産者によるパネルディスカッション
意見交換会
18時 懇親会
懇親会:会員4000円(一般4500円)(宿泊される方は+5000円)
申込先:スローフード福島事務局
slowfood@ninki.co.jp
TEL:0243-23-2091
FAX:0243-23-2098
締め切り:8月15日
追記:
『福島の現状を語る会』には、スローフードすぎなみTOKYOから5名参加し、スローフード福島の生産者の方から話を聞きました。無農薬・有機で野菜を栽培していた会長の須藤陽子さんは、食の安全性にこだわるからこそ放射能汚染の恐れがある野菜は作れない、と言います。事務局長・「人気一酒造」の遊佐勇人さんは、地震の影響で酒蔵を移転せざるをえませんでした。メンバーの大半を福島県内陸部、通称「中通り」の方たちが占めるスローフード福島では原発から避難しなければならなかった人はいませんが、放射線の線量計を常に携帯している人もいます。滞留する放射能・生産の中止・価格の下落など、福島県の原発災害は甚大です。私たちはスローフードとして何ができるのか、大きな課題を突きつけられました。
東日本大震災 支援⑥
スローフード気仙沼への支援金
投稿日 2011年05月05日
5月3日、スローフードジャパン副会長の佐々木俊弥さん(スローフードすぎなみTOKYO代表)は、宮城県気仙沼市を訪れ、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが募ったスローフード気仙沼への支援金を、理事長の菅原昭彦さんに直接手渡しました。
この支援金は<顔が見える相手に、直接支援>を訴え、震災直後の3月14日にスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが呼びかけたものです。
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/)
その結果、5月2日までに、全国各地のスローフードメンバーやその知り合い、このwebサイトの閲覧者、スローフードすぎなみTOKYOと交流があるスローフードベルリン、東京・新宿の居酒屋「あいうえお」などから合計940,997円が寄せられました。また、4月13日に日本料理のチャリティー・ビュッフェを開いたスローフードベルリンからは、参加者がスローフード気仙沼のメンバーにメーセージを書き込んだノートも届きました。左の写真は、そのノートに見入る菅原さんです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/)
菅原さんのご家族は全員無事でしたが、スローフード気仙沼のメンバーの方が1人亡くなりました。また、菅原さんが営む男山本店という日本酒の酒蔵では、数人の方が亡くなり、家を失った社員も何人かいます。「ここ気仙沼では、生きている人が100人いると、300のドラマがあるんです」と、菅原さん。
菅原さんはこう語ります。「漁業の町・気仙沼では、漁業生産者への直接的な支援は難しいでしょう。今後求められるのは、つながりを絶やさない継続的な支援です。今回の震災は、地域社会を大きく変えます。スローフードにできることは、その変化のなかで、この土地で培われたきた伝統や漁村文化を継承してゆくことです。私の友人は、『いままで、おれたちは海から色々な恵みを受けてきた。今回の津波で、おれたちはそれをいったん海に返したんだ』と、言っています」
5月4日午後4時現在、気仙沼市で死亡が確認された人は913人。行方不明者663人。全壊した家8,383戸。半壊した家1,861戸。人口約73,000人のうち4,930人が、市内51の施設で避難生活を送っています(宮城県調べ)。
市内中心部の、巨大な力で引き裂かれた人間の暮らしを見て、佐々木さんに同行したスローフードすぎなみTOKYOのメンバーは、ただ立ち尽くすだけでした。
しかし、復興の歩みはすでに始まり、菅原さんはその一端を担っています。港に面していた男山本店の事務所は昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されていました。事務所は、1・2階部分が消滅。3階がそのまま地上に落ちてしまいました(写真下)。地盤沈下のため、満潮時には前の道路が冠水します。酒蔵にも、門の数メートル手前まで海水が押し寄せましたが、幸いにも津波の被害は免れました。そして、昨年11月に仕込んだタンク2本が無傷で、なかから「もろみ」が呼吸する音が聞こえたそうです。復興を望む被災者の声に押された菅原さんは、その「もろみ」で新酒造りを決意し、3月28日に銘酒「蒼天伝(そうてんでん)」を絞り終えました。菅原さんの新酒造りはテレビで伝えられ、報道された新聞や雑誌の記事や、励ましのメールが新たな事務所に貼られています。
↑ 震災を乗り超えて生まれた、気仙沼・男山本店の「蒼天伝」
東日本大震災 支援⑤
高円寺・被災地応援マルシェ(市場)
投稿日 2011年05月04日
スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日/5月1日の二日間、
福島原発災害の風評被害に遭っている生産者の方たちを支援するため、
<被災地応援マルシェ(市場)>を、JR高円寺駅南口広場で開きました。
このイベントのきっかけとなったのは、昨年、宮崎県で広がった口蹄疫への支援イベントを、スローフードすぎなみTOKYOと一緒に行った大学生グループの一人、神野政史(東京農大3年)さんの想いです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2010/07/790/)
実家が、福島第一原発から避難を強いられる計画的避難地域・川俣町の一部にある神野さんは、放射能汚染の風評被害を受けている多くの地域の生産者に、何かアクションを起こせないか、と思いました。その想いに応え、スローフードすぎなみは4月30日/5月1日に開かれる<第3回高円寺びっくり大道芸2011>で、風評被害を受けている地域の方たちに、生産物を販売する場を、自分たちの力でささやかながら作ろう、と考えたのです。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応えてくださったのは、スローフード福島、スローフード茨城(写真右上・サブリーダーの中川純一さん)、農家の若い世代の就農を目指すレストラン・東京/六本木の「六本木農園」(写真右下・弥生一葉さん)、福島県の「JAしらかわ」など。
スローフードすぎなみは、前回の「座の市」に引き続き、スローフード福島メンバーである斉藤保行さんのキュウリ、同じく福島のメンバーである人気酒造の日本酒・リキュール・「食べる酒粕」などを販売し、スローフード茨城は、レタスなどの生鮮野菜のほかに、小鯛やカレイなどの魚介類も持ち込みました。また、六本木農園の生産者グループは、鈴木農園の「ジャンボなめこ」、内山さんのサツマイモ、堀米農園のウド、田中さんのnippa米、若手生産者グループ「農援隊」のコメ・アスパラなどを網羅。JAしらかわは、コメ・餅・イチゴ・野菜などを売りました。
今回、販売の中心になったのは、スローフードすぎなみのメンバーや、その知人・友人の女性たちです。彼女たちが担当する斉藤さんのキュウリ、人気酒造の日本酒などは次々に完売し、日本酒は追加注文を出しました。手伝ってくださった女性のなかに、実家と田が津波で被災し、さらに福島第一原発の警戒区域に指定され、故郷に立ち入ることができない浪江町の方もいらっしゃいました。 「風評」は姿や顔・形が見えない場所から、想像力で生まれます。2日間、呼びかけ、売り続けた女性たちのエネルギーは、その被害を風のように吹き飛ばしたのかもしれません。 そして、浪江町の方にいただいた、津波に侵される前に穫れた「最後の玄米」の味わいに、言葉を失ってしまいました・・・・・・。
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援④
スローフード沖縄・奄美からのたより
投稿日 2011年04月22日
4月20日、スローフード沖縄・奄美が主宰するNPO法人「食の風」は、 震災被災者を支援する『沖縄でニッポンを復興させる会』を設立し、 沖縄本島・中部の宜野座村(ぎのざそん)に、 福島第一原発事故の被害者など15家族受け入ることを発表しました。
この日、スローフード沖縄・奄美会長の田崎聡さんは、設立5団体の代表者とともに、沖縄県庁で記者会見を開催。会の設立と、宜野座村(ぎのざそん)による15家族受け入れが、新聞各社・テレビ各局で報道されました。→ Okinawa Zinoza 01 4月9日正午現在、沖縄在住の震災避難者は887人(朝日新聞調べ)。しかし、その多くは沖縄出身者や個人的な関係による避難で、自治体と民間団体が行う組織的な受け入れは、沖縄県では初めてです。避難者の住居費は、1年間無料(光熱費別)、那覇への航空運賃も無料(暫定5月末まで)。受け入れ農家での農作業のほか、休耕農地での耕作が可能です。
受け入れ先となる宜野座村は、那覇空港から沖縄自動車道経由で約1時間半。人口約5,500人の沖縄本島中部に位置する村です。阪神タイガーズのキャンプ地として知られ、また、漢那ダムをはじめ5つのダムがある沖縄の水瓶です。昨年3月、「有機の里」宣言をした宜野座村は、環境保全型農業を地域ぐるみで目指しています。したがって、環境保全型農業を目指す方たちにとって、うれしい場所です。
宜野座村エコ野菜研究会の志良堂貢さん(写真下・左)は、10年前から化学肥料を一切使わず独自の肥料を開発し、無農薬で野菜を栽培するために、在来種のクモやカエルを使って害虫の駆除をしています。「宜野座で、マッチョンドー(宜野座で、待ってるよ)」と、志良堂さん。また、3年前に農業研修で宜野座村に来た菅野里志さん(写真下・右)は、福島県出身。研修終了後、宜野座村に移住してイチゴなどを栽培しています。菅野さんは、JAの支援体制や行政のバックアップがしっかりしていて、移住を決意したそうです。スローフード沖縄・奄美の田崎さんは、「被災地と沖縄との交流を通して、第一次産業から復興につなげてゆきたい」と、語ります。
↓ 『沖縄でニッポンを復興させる会』(設立趣意書) Okinawa Ginoza 03
また、4月17日、那覇市久茂地のフレンチ・レストラン「メゾン・ド・フジイ」は、震災復興へ向けたチャリティー・ディナーを開き、売り上げを、スローフード沖縄・奄美を通してスローフード気仙沼の支援に寄付してくださいました。
追記:
この発表のあと、5月6日から10日まで、スローフード沖縄/奄美の田崎会長は原発からの避難所を訪れました。福島県双葉町の方たちが避難していた埼玉県加須市、おもに大熊町の方たちが避難していた福島県会津若松市、おもに富岡町と川内村の方たちが避難していた郡山市で、田崎会長はそれぞれの行政担当者へ被災家族の受け入れを説明しました。また、地元テレビ局や新聞などの取材も受け、原発災害に対するスローフードの対応のひとつを地域のメディアに示したのです。申込期限の5月末までに正式に移住を決めた家族はありませんでしたが、この受け入れ計画はいま「宜野座エコビレッジ構想」として発展し、継承されています。(→ginoza_120111)
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援②
チャリティー in 「座の市」
投稿日 2011年04月17日
4月16日、放射能汚染の風評被害を受ける福島県産のキュウリを、 スローフードすぎなみTOKYOは、劇場「座・高円寺」と共催して開く「座の市」で、販売しました。
販売したのは、スローフード福島のメンバー・斉藤保行さんがハウス栽培したキュウリです。斉藤さんのキュウリは、蕎麦カスなどを中心とした肥料や、昆布粉・トウモロコシの油カスなどを使った高級品。おもに、東京の有名デパートなどで売られていました。ところが、福島第一原発の事故により、福島県の農産物に放射能汚染の風評が広まりました。斉藤さんのキュウリは、「無添加食品販売協同組合安全センター」の調査で、安全面で問題がない、との結果が出ているにもかかわらず、販路を失いました。そこで、スローフード福島が支援を呼びかけたのです。
特定の商品などを買わず、社会的な抗議や主張を表す不買運動(ボイコット)は古くから知られています。しかし、最近、それとは発想を逆にした、フェアトレードなど、特定の商品を買って生産者やコミュニティーを支えるバイコット(BUYCOTT)の運動が盛んになっています。「味の箱舟」「プレシディオ」にみられるように、このバイコットは、スローフード運動を支える考え方のひとつです。二箱送られてきた斉藤さんのキュウリは、すぐに売り切れてしまいました。
「座の市」は、スローフードすぎなみTOKYOが、杉並区立の劇場「座・高円寺」や地元の商店街などと、昨年9月から始めた定期市場です。毎月一回、第3土曜日に「座・高円寺」のエントランス広場で開かれます。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応じ、スローフード福島・スローフード長崎・スローフード秦野が、出品しています。スローフード秦野からは、毎回、パン工房「レ・ルルド」の神保さんが来てくださり、早くも「座の市」の名物になりつつあります。また、スローフード長崎がいつも出品する「エタリの塩辛」(写真上・右)は、日本で初めて「味の箱舟」(アルカ)に登録された食品のひとつ。その「味の箱舟」を東京で買える場所が、この「座の市」です。また、今回スローフード福島は、斉藤さんのキュウリのほかに、「人気酒造」の<食べる酒粕><手造り味噌>(写真上・左)などを出品しました。遠方のコンビビウムからの出品は、スローフードすぎなみTOKYOが、委託販売をしています。
高円寺「座の市」は、杉並第4小学校の「味覚教育」とともに、スローフードすぎなみTOKYOの活動を支えるプロジェクトのひとつです。
なお、スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日~5月1日に開かれる「高円寺びっくり大道芸2011」の復興支援チャリティーマーケットで、スローフード福島・スローフード茨城の協力を得て、風評被害に遭っている農産物を販売する予定です。
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援①
スローフード秦野からのたより
投稿日 2011年04月17日
スローフード秦野のメンバー「石(いし)庄庵」の主人・石井貞男さんは、 4月6日、福島市内の避難所・福島商業高校で蕎麦を打ち、 被災者や支援者の方たちに提供しました。
石井さんと<石庄そばの会>の人たち12人が秦野を出発したのは、前日の午後9時。6日の午前3時半頃、東北自動車道最寄りのインターで仮眠し、午前8時頃、福島原発半径20キロメートルの住民約120名が避難していた福島商業高校の体育館に着きました。福島商業高校の避難所を選んだのは、「石庄庵」のお客さんに、福島商業OB会の方がいらっしゃって、学校と連絡を取ってくださったからだそうです。蕎麦粉25kg、70リットルの寸胴鍋数個、水、プロパンガスなど、蕎麦を作るために必要な材料・機材・調理器具は、すべて秦野から運びました。
石井さんは、昼食に合わせて200食の蕎麦を打ち、被災者の方たちだけではなく、警察・ボランティア・学校の教職員など、支援に当たっている方たち全員に、蕎麦を食べていただきました。また、同行した会員に整体師の方がいて、被災者の方たちの身体をほぐしたそうです。
「最初は遠巻きにしていた子供たちが、途中から体に触ってくるようになりました。大人たちは次の避難場所を選ぶのに忙しく(福島商業の避難所は、学校の授業が始まるために8日に閉鎖されました)、子供たちに相当ストレスがたまっているようでした」と、石井さん。石井さんは、避難所の人たちが、カップラーメンを食べているテレビの映像を見て、<自分にできること>を考えました。「それは、これからも自分が蕎麦屋をやってゆくために、必要なことでもあったのです」
美味しい料理は、食べる人に元気と希望を与えます。 それは、スローフードの理念のひとつです。
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) スローフードジャパン・東京宣言
投稿日 2011年04月10日
スローフードジャパンは昨日(4月9日)理事会を、東京・代官山の「イータリー」で開き、佐々木副会長(スローフードすぎなみTOKYO・代表)が、今回の大震災に関するメッセージを発表しました。
スローフードジャパン 東京宣言
人類の歴史は自然の脅威を克服する過程でもある。
日本人は森林と温暖湿潤な気候に恵まれ、水を活かし水に活かされる食文化を築きながら暮らしてきた。
そこから、自然との調和・共生を目指す生活体系を築いてきた。
しかし自然は、時に荒ぶる姿で私たちを襲い、自然との共生は自然の脅威との共生でもあることを今回の地震・津波災害は改めて私たちに突きつけた。
一方で原子力発電所の事故が起こり、私たちの文明と科学の脆さを思い知らされることとなった。
日本人において“食べる”という言葉は“生きること”と同じ意味で語られてきた。
日本のスローフードは、今回の震災で犠牲となった方々に深い哀悼の意を示し、被災者が早く日常の生活に戻れるよう支援を続ける。
そして、地方にある発電所が都会に電力を供給し、また地方が都会に食料を供給するという関係性を見直し、持続可能な社会システム再生に向け、力を合わせ行動していく。
2011年4月9日 スローフードジャパン理事会一同
緊急アッピール!! 東日本大震災(東北関東大震災/東北地方太平洋沖地震)
投稿日 2011年03月14日
支援金の募集を始めます !!
すでにご存じのように、日本の歴史に未曾有の災害が刻まれました。
被災者・犠牲者の方に、心からお見舞い申し上げます。
・SF八戸 →SFよこはまのメンバーがSF八戸のメンバーと電話で接触、SF八戸のメンバーは全員無事の模様。
・SF岩手 →mixi によれば、メンバーは全員無事の模様。
・SF気仙沼 →理事長と直接連絡が取れず(*留守番電話)。その後、無事の情報が入るが、本人には確認が取れず(3月15日午前9時30分現在)。その後、3月15日午後3時15分、友人の方が、本人が家族とともに無事であることを、関係者の方に再確認した、との情報が入りました。
・SF宮城 →前SFジャパン事務局長(仙台在住)と直接連絡が取れず(*留守番電話)。SF帯広のメンバーがSF宮城の事務局長と電話で接触、SF宮城のメンバーの安否は不明。その後、前ジャパン事務局長から mail あり。
・SF福島 →SFすぎなみとSF TokyoBayのメンバーが、事務局長と電話で接触。メンバーは全員無事の模様(私への mail )。
・SF茨城 →理事長と連絡が取れず。
↓2007年に気仙沼で開かれた、スローフードジャパン第4回大会と「スローフードフェスタ」。中央の写真が、SF気仙沼・菅原理事長
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みんな、元気だそう! 頑張ろう!
↓(ごめんなさい。埋め込み方がわからないので)
速報 !! 八戸大会
投稿日 2011年02月21日
スローフードとは、「食」を通して社会を変え、人の生き方を考える国際的な市民運動です。
そして、その運動は、それぞれの地域でのコンビビウムの活動によって、具体的に展開されています。いま、日本のスローフードには何ができるのか、日本で、地域を通してスローフードという考え方をどのように広めるのか、が問われています。




























